円覚寺・舎利殿
神奈川県鎌倉市、臨済宗円覚寺派の大本山の円覚寺(えんかくじ)。鎌倉五山第二位という名刹ですが、塔頭(たっちゅう=子院)の正続院にある舎利殿は、国宝。鎌倉はもちろん、神奈川県では唯一の国宝建築物です。正続院は、円覚寺を開山…
神奈川県鎌倉市、臨済宗円覚寺派の大本山の円覚寺(えんかくじ)。鎌倉五山第二位という名刹ですが、塔頭(たっちゅう=子院)の正続院にある舎利殿は、国宝。鎌倉はもちろん、神奈川県では唯一の国宝建築物です。正続院は、円覚寺を開山…
神奈川県鎌倉市浄明寺、神奈川県道204号(金沢鎌倉線)、かつての金沢街道近くに建つ臨済宗建長寺派の古刹が報国寺(ほうこくじ)。本堂の奥(開山堂であった休耕庵跡)には1000本を超す見事なモウソウダケの竹林と庭があることか…
富士山の山頂に太陽が沈むダイヤモンド富士。海水浴シーズンが去った三浦半島では、9月がダイヤモンド富士のチャンス。実は三浦半島は4月の上旬、9月上旬と年2回ダイヤモンド富士のチャンスがありますが、春霞の4月よりも、9月の方…
北鎌倉の建長寺の門前の山ノ内と扇ヶ谷(おうぎがやつ)を結ぶ山越えの道が亀ヶ谷坂 (かめがやつざか)。「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつで、仁治元年(1240年)、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の「山内の道路を造らるべきの由…
北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。…
鎌倉、扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗泉涌寺派の寺、浄光明寺。源頼朝の天下統一を助けた文覚上人が、頼朝の命により建立した草庵がルーツと伝わりますが定かでありません。寺伝によれば、建長3年(1251年)、鎌倉幕府6代執権…
弘仁9年(818年)頃、空海が諸国遍歴の際に、夢告により不動明王を彫りお堂を建てたという伝承がある(ただし空海の東国布教は伝承の域を脱しない)古刹が鎌倉市今泉にある称名寺(しょうみょうじ)。本尊は阿弥陀如来で、今泉不動と…
日蓮が清澄寺を出て鎌倉を目ざし、建長5年(1253年)に開いた松葉ヶ谷(まつばがやつ)草庵跡と伝えられる寺が安国論寺。文応元年(1260年)、この地で日蓮は『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)を執筆したと伝えられ、境…
建長5年(1253年)、鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう=皇族で初の征夷大将軍)の命で藤原仲能(道知禅師)を願主にして鎌倉・扇ガ谷に建立された七堂伽藍の大寺が海蔵寺。鎌倉滅亡の際の兵火で焼失するも応永元年(1…
前身は鎌倉幕府5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が永暦元年(1160年)に創建し閑居した最明寺。8代執権・北条時宗は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を迎えて禅興寺として再興し、康暦2年(1380年)、鎌倉公方・足利氏…
宋(中国)に渡った栄西(えいさい)、鎌倉時代、南宋から渡来した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)ら臨済宗の名僧が開山した禅宗寺院のうち、鎌倉幕府の庇護のもと、鎌倉に築かれた5つの名刹が、鎌倉五山。鎌倉幕府の5代執権・北条時頼…
建長5年(1253年)、日蓮(にちれん)に帰依した土地の地頭・石井長勝(いしいながかつ)が屋敷内に法華堂を建立し、日蓮に寄進したのに始まると伝えられる鎌倉の古刹が長勝寺。日蓮聖人が、この地で帝釈天の使いである白い猿に助け…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
源頼朝が没した翌年の正治2年(1200年)、北条政子の発願で伽藍を建立、栄西が開山した名刹、寿福寺。鎌倉五山第三位で臨済宗建長寺派の寺。寺が建つ場所は頼朝の父、源義朝(みなもとのよしとも)の居館があった場所。頼朝が鎌倉入…
天平8年(736年)、徳道上人の創建と伝わる鎌倉長谷にある浄土宗の古刹、長谷寺(はせでら)。坂東三十三観音第4番霊場で本尊は十一面観世音菩薩。高台にあるため、長谷界隈でもっとも眺めがいい寺で、鎌倉の海岸線を眺望します。そ…