栃木県日光市の日光山内にある二荒山(日光山)発祥となる寺が四本龍寺(しほんりゅうじ)。天平神護2年(766年)、日光開山の祖である勝道上人(しょうどうしょうにん)が大谷川の激流を渡り開山した、輪王寺の前身となる寺(創建時は紫雲龍寺/現在は輪王寺の境内にあり、寺としては存在しません)。
日光開山の勝道上人が最初に堂を築いた地
日光の開山は天平神護2年(766年)、男体山の頂を極めるため、激流の大谷川をなんとか渡り、勝道上人が紫雲の立ち上る霊地を見て小さな庵を結んだことに始まります。
この庵を拠点にさらなる修行を重ねた上人は,天応2年(782年)ついに男体山を極めたのです。
日光というと徳川家康の墓所、そして徳川家ゆかりの寺社のイメージが強いのですが、それは近世以降の日光山の歴史。
中世以前は、勝道上人の日光山開山に始まる山岳信仰の聖地、霊山としての神仏習合の信仰だったのです。
深沙王堂(じんじゃおうどう)のご加護を受けて無事に大谷川を渡った勝道上人は、これから極めようとする二荒山(ふたらさん=男体山)の方角に祈りを捧げていると、礼拝石から紫色の煙が東北の空へとたなびくのを目にします。
そのため、この地を青竜(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)の四神守護の霊地と悟り、紫雲立寺(しうんりゅうじ=創建当初の次号)を建立したのです。
奈良時代から平安時代には、この紫雲立寺(四本龍寺)が日光の中心だったのです。
平安時代初期の大同2年(807年)、勝道上人は、下野国司・橘利遠の求めに応じ、二荒山(男体山)山頂で祈雨の行法を行なっていますが、この年、橘利遠によって観音堂が建立され、本尊の千手観世音が安置されています。
この紫雲立寺後が後に四本龍寺になり、大同5年・弘仁元年(810年)、四本龍寺を本坊とし、一山の総号が満願寺となりました。
現在は日光山輪王寺の境内となっているため、四本龍寺の御朱印は日光山輪王寺の大護摩堂で。
名称 | 四本龍寺/しほんりゅうじ |
所在地 | 栃木県日光市山内2300 |
関連HP | 輪王寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで、神橋もしくは西参道下車、徒歩5~10分 |
ドライブで | 日光宇都宮道路日光ICから約3.7km |
駐車場 | 100台/有料 |
問い合わせ | 輪王寺 TEL:0288-54-0531 |
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