四本龍寺・三重塔

四本龍寺・三重塔

世界文化遺産「日光の社寺」を構成する二社一寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)のルーツとなるのが、神橋近く、日光山内の高台に位置する四本龍寺(しほんりゅうじ)。その境内に聳える三重塔は、国の重要文化財(登録は輪王寺・三重塔)で、世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産のひとつになっています。

源実朝菩提のために建立

四本龍寺・三重塔

『日光満願寺三社記』(弘仁元年・810年、朝廷から「満願寺」の号が下賜)には源実朝(みなもとのさねとも)の菩提のためこれ(三重塔)を造立すと記されており、日光山二十四世座主・弁覚法印が建立したもの。
承元4年(1210年)に源実朝の護持僧、弁覚法印が就任し、日光山に熊野修験の法を導入し(弁覚は吉野熊野で修行)、三山形態(三山・三仏・三所・三神・三社)を確立しています。
弁覚は頽廃していた堂塔を修営し、光明院を建立、これを本寺として衆徒36坊、小坊300余坊へと発展させているのです。


鎌倉時代の仁治2年(1241年)創建の塔は、日光山中興の光明院時代に創建されたもの(その後、室町時代に日光山は関東の一大霊場へと発展します)。
江戸時代初期の貞享元年(1684年)に焼失。
現存する三重塔は正徳3年(1713年)の再建です。

江戸時代以前には現在の輪王寺金堂(三仏堂)の南東に聳えていたといい、現在の日光東照宮境内にあたる場所にあったことがわかっており、日光東照宮創建に伴って正保2年(1645年)、四本龍寺境内へと移築されたもの。

東照宮の五重塔と同様に、初層から最上層の屋根の面積は同じですが、これは冬季の降雪を計算してのこと。
蛙股(かえるまた=屋根からくる荷重を支える装飾された部材)には極彩色に彩られた十二支の彫刻が配されています。
卯(うさぎ)は東、午(うま)が南、酉(とり)は西、子(ねずみ)は北と方角を守護しているのだと推測できます。

隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡です。

四本龍寺・三重塔

取材協力/日光山輪王寺

名称 四本龍寺・三重塔/しほんりゅうじ・さんじゅうのとう
所在地 栃木県日光市山内2300
関連HP 輪王寺公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで、神橋もしくは西参道下車、徒歩5~10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3.7km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 輪王寺 TEL:0288-54-0531
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
四本龍寺・観音堂

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四本龍寺

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