日光東照宮・陽明門

日光東照宮・陽明門

日光東照宮参拝のハイライトの一つが国宝の陽明門。極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」とも称されていますが、平成の大修理を終えて絢爛豪華な輝きが蘇っています。他の社殿と同様、3代将軍・徳川家光の命による寛永13年(1636年)の造営で、三間一戸の豪壮な楼門。

508体の彫刻が施されている!

創建以降、屋根の葺き替え、塗装の塗替え、近年では平成の大修理などがありましたが、彫刻や主要化粧部材は創建当時のまま。
日光山内で最も有名な建築となる陽明門は、国宝8棟、国の重要文化財34棟という東照宮文化財群でも、もっとも彫刻・建築装飾に優れた建物で、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など508体(霊獣194・植物159・鳥類71・人物42・雲18・水波17・昆虫7)の彫刻が施されています(日光東照宮全体の彫刻総数は5173体で第1位は本殿・石の間・拝殿=本社の2468体、2位が唐門で611体、3位が陽明門です)。

霊獣は、蹄(ひずめ)を有する龍の「龍馬」(りゅうば)8頭、中国から伝来したライオンの「唐獅子」76頭などが配されていますが、とくに「唐獅子」は東照宮のほぼすべての「唐獅子」をここで見ることができます。

しかも建築構造部材の一部が彫刻化されたり、構造部材の表面に大規模な彫刻を取り付けたり、羽目板の表面に多数の彫刻を取り付けたりと、まさに日光東照宮随一の絢爛豪華な建物になっているのです。

陽明門の屋根の下には、2段に龍の頭が並んでいますが、龍は徳川家光の干支。
古代中国では王権のシンボルであることから、東照宮を飾るのにふさわしい霊獣とみなされ、徳川将軍家、さらには徳川家光のシンボルとして目立った場所に配されているのです。

注目したいのは、漆塗、彩色、飾金具による建築装飾技法が、その表現の特性、耐久性に応じて使い分けられている点。
江戸時代初期の技術の粋を集め、徳川将軍家の資産(徳川家光は、社寺建築という支出拡大を背景に、中国、オランダとの貿易を幕府が独占するなど財政確保にも尽力しています)を潤沢に使って、東照大権現の墓所の入口にこの豪華な門を築いているのです。

随身と唐獅子(狛犬)が門を守備

正面唐破風下の「東照大権現」(神仏習合時代の徳川家康の神号)は、後水尾天皇の宸筆(しんぴつ)。
徳川幕府と緊張関係にあった後水尾天皇は、寛永13年(1636年)には上皇になり院政を敷いていましたので、正しくは後水尾上皇となります。
扁額の上に恐ろしい形相の鬼の面があるのは、邪気を防ぎ、門内に悪魔を入れないように見張るため。

門の名は、平安京大内裏(だいだいり=宮城)外郭十二門のひとつ、大内裏東面・大宮大路に面して建つ陽明門に由来。

陽明門を支える12本の柱には胡粉(ごふん=貝殻をすり潰した白色の顔料)が塗られ、「グリ紋」と呼ばれる地紋が彫られています。
内側の2本目だけが他の柱と逆に下向きの紋様に。

これが「魔除の逆柱」で、魔除けのためにわざわざ逆に彫ったというのが定説ですが、建物は完成した瞬間から崩壊が始まるので、未完成の部分をあえて残したのだともいわれています。

門の入口側には江戸時代に「生る人に違はず」といわれた等身大の随身、裏側(唐門・拝殿側)には唐獅子(狛犬)が配されています。
唐獅子(狛犬)は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したもの。

名称 日光東照宮・陽明門/にっこうとうしょうぐう・ようめいもん
所在地 栃木県日光市山内2301
関連HP 日光東照宮公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光東照宮社務所 TEL:0288-54-0560/FAX:0288-54-0061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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