下野国分寺跡

下野国分寺跡

奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺)。国府に近く、水害の憂いなく長久安穏の場で、国華として仰ぎ見るのによい地形ということから下野国庁の東側、思川の対岸に建立された下野国国分寺跡が特定され、発掘整備され史跡公園となっています。

東大寺式の伽藍配置の古代寺院の跡

姿川と思川に挟まれた台地上に、東西413m、南北457mという広大な寺域を構えています。
南大門から北に中門、金堂、講堂を配置し、中門から金堂へと回廊を巡らせるという東大寺式の伽藍配置になっています。
塔高が60mを超えるという巨大な七重塔がそびえていたこともわかっています。

8世紀中頃に創建され、平安時代の後期までは法灯が継承されていたと推測されています。
下野国分寺跡の東方600mほどのところに下野国分尼寺跡があり、下野市天平の丘公園として整備され、下野国分寺跡に隣接する甲塚古墳から出土した機織形埴輪(国の重要文化財)を展示する「しもつけ風土記の丘資料館」がビジターセンターとなっています。

なお、下野国分寺跡の北東にある下野国分寺(真言宗豊山派の寺)は、法灯を伝承したと伝える後継寺院です。

下野国分寺跡
名称下野国分寺跡/しもつけこくぶんじあと
所在地栃木県下野市国分寺872
関連HP下野市公式ホームページ
電車・バスでJR小金井駅からタクシーで10分
ドライブで東北自動車道栃木ICから約10km、または北関東自動車道壬生ICから約10km
駐車場天平の丘公園駐車場を利用
問い合わせ下野市教育委員会文化課 TEL:0825-52-1120
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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