日光東照宮・三猿

日光東照宮・三猿

日光東照宮の神馬(しんめ)の厩舎(きゅうしゃ)である神厩舎の長押には、人間の人生を表す合計で16匹の猿が彫られています。そのうち、もっとも有名な猿が「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿(さんえん・さんざる)です。厩舎に猿が描かれるのは、猿が馬を守護する厩神(うまやがみ)とされてきたから。

三猿に込められた哲学的な教えとは!?

日光東照宮・三猿

古来、厩舎の悪魔祓いの儀式(猿飼による厩祈祷)として猿まわしが行なわれるなど、猿は馬を守護するという考えがありました。
しかも猿が横にいると馬が安心するという、馬の習性もあったようです。
大道芸の猿まわしは、この厩祈祷がルーツで、現在も社寺の境内で行なわれているのもその伝統から。
馬小屋の軒下や柱に猿の頭蓋骨を飾って、悪魔祓い、疫病除けにしていたのです。
鎌倉時代の正中年間(1324年~1326年)に記された『石山寺縁起絵巻』にも、厩につながれた猿が描かれていることから、日本古来の伝統であることがわかります。
その背景には馬は火であり、猿は水であるという中国古代の陰陽五行説があり、火を守る水という五行相剋(水は火に勝ち)の考え、つまり馬を守る猿という関係が生まれたと推測できるのです。

「厩猿」(うまやざる)は「招福猿」として縁起がいいとされたのです。

神厩舎の長押には厩を守る猿を使って人間の一生を描いています。
有名な三猿は、まだ子猿の3匹(三猿の左側に子供の幸せを願う親を描いた母子猿があります)。
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿は、「悪い方に導く言葉を聞くな」、「悪い行ないを自然だと見るな」、「理由もなく悪く言うな」という教え(「不見・不聞・不言」の教義)で、素直な心のままに成長させよという戒めです。
現在は神社となっている日光東照宮ですが、創建時には日光山という神仏習合の地。
しかも天台宗の寺として機能していましたから、天台宗の教えがその背景にあると推測できます。

中国の道教に密教などが習合した庚申信仰(こうしんしんこう)に基づいて建てられた石塔「庚申塔」にもこの三猿はよく描かれるモチーフです。
現在では、”Three wise monkeys”として海外にも知られており、外国人ツーリストも必ず記念撮影するポイントとなっています。

この猿のレリーフを誰が描いたのか、彫ったのかは定かでありません。

名称 日光東照宮・三猿/にっこうとうしょうぐう・さんざる(さんえん)
所在地 栃木県日光市山内2301
関連HP 日光東照宮公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光東照宮社務所 TEL:0288-54-0560/FAX:0288-54-0061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
日光東照宮・神厩舎

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