黒羽城址公園(黒羽城)

黒羽城址公園(黒羽城)

栃木県大田原市にある戦国時代に築城された、那須氏重臣・大関氏の居城が、黒羽城。土塁、空濠、水濠などが現存し、黒羽城址公園として整備されています。本丸跡からは那須連山、日光連山を眺望。アジサイ6000株が植栽され、6月下旬〜7月上旬には『芭蕉の里くろばね紫陽花まつり』も開催。

江戸時代を通じて黒羽藩の藩庁が置かれた城

黒羽城は、天正4年(1576年)、那須資胤(なすすけたね)の重臣・大関高増(おおぜきたかます=大田原資清の長男)が居城を白旗城(現・大田原市余瀬)から移して築城。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、主家である那須資晴(なすすけはる=那須資胤の子で那須氏21代当主)は小田原へ参陣しなかったため改易されていますが、大関高増は、弟である大田原氏の当主・大田原綱清の息子・大田原晴清とともにいち早く参陣して所領1万3000石を安堵されています。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、黒羽城も会津の上杉景勝に対する備えとして大規模な改修が行なわれています。
関ヶ原の戦い後には加増されて1万9200石の大名に出世。
本丸、中の丸、北の丸からなる内城を三の丸が囲むように配置され、外様大名ながら黒羽藩の藩庁として明治維新まで機能し、明治4年の廃藩置県で廃城に(戊辰戦争では新政府軍として三斗小屋攻略や会津戦争などで活躍)。

元禄2年(1689年)には、『奥の細道』途中の松尾芭蕉が黒羽城下に14日間も滞在し、現在では「芭蕉の里」とPRされ、三の丸には「黒羽芭蕉の館」が建ち、芭蕉関連資料と、黒羽藩主大関家の資料を常設展示しています。

黒羽城址公園(黒羽城)
名称 黒羽城址公園(黒羽城)/くろばねじょうしこうえん(くろばねじょう)
所在地 栃木県大田原市前田
関連HP 大田原市公式ホームページ
電車・バスで JR西那須野駅から関東バス五峰の湯線で45分、または、JR那須塩原駅から市営バス雲巌寺・須賀川線で45分、大雄寺入口下車、徒歩10分
ドライブで 東北自動車道西那須野塩原ICから約20km、矢板ICから約27km
駐車場 黒羽城址公園駐車場(50台/無料)
問い合わせ 大田原市観光協会 TEL:0287-54-1110
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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