門田稲荷神社

門田稲荷神社

栃木県足利市八幡町、下野國一社八幡宮の境内社が、門田稲荷神社(かどたいなりじんじゃ)。東京都板橋区の榎木稲荷(縁切榎)京都市伏見区の伏見稲荷 とともに日本三大縁切稲荷と称されています。男女間などの人間関係だけでなく病、酒、賭け事などとの縁を断ち切ることができるといわれています。

明治末頃に合祀され、以来悪縁を断ち切る稲荷として崇敬

源義家が、陸奥の豪族・安倍頼時父子との戦い(前九年の役)に赴く途中、戦勝を祈願して、男山八幡宮(元・石清水八幡宮)から武神で自らも尊崇する八幡神(八幡大菩薩)を勧請して創建したと伝えられるのが、下野國一社八幡宮。
境内社の門田稲荷神社は、もともと現在地より南西の門田郷の稲荷社だったもの。

大正3年の『郷土研究』に寄稿した丸山太一郎の『八幡村の縁切稲荷』には、
「足利市西南十五六町を距つる山辺村大字八幡に鎮座する県社八幡宮の境内に、近年郊外より移した九尺二間程の小祠がある。本名は正一位門田稲荷大明神と称する由成れど、門田稲荷と聞いて村民も知らぬものが多い位で、何年頃からか如何なる理由(わけ)で縁切稲荷などと言い伝えたか、更に不明であるけれども、誰言ふとなく夫婦別れの御願ひを初め、足繁く妾宅通いをする旦(だん)つくと妾との間に秋風を立たせたり、又内を外に遊び巡る宿六に情婦と手を切らせる位はお安い事で、難病の根切り其他總(すべ)てのものと縁を切りたいと云って願ひさへすれば、霊験あるとの話である」
と記され、大正時代から旦那と浮気相手との縁切りだけでなく、難病との縁を切ることにも霊験があると信仰されていたことがわかります。

下野國一社八幡宮の境内へは明治40年代に行なわれた神社合祀(小規模の村社や無格社を整理統合するもので、第一次西園寺内閣、桂内閣が強硬に実施、南方熊楠は反対運動を展開)によって移されたもので、縁切りが全国的に有名になったのは、平成になって女性雑誌が取り上げ、ブログやSNSで拡散されてから。
近年では世相を反映して、酒やたばこ、さらにはいじめなどの縁を絶ちたいという願掛けも多いのだとか。

穴の空いた柄杓(ひしゃく)があるのは、「悩みを流す 縁切り柄杓」で、「悪縁断ち」の願掛けを行ないながら柄杓に穴を開けるという「儀式」(穴から水が流れ落ちるように「悪縁を抜く」儀式)があるため。

足利市内には縁結びの織姫神社もあり、門田稲荷神社で悪縁を絶ち、織姫神社で新たなる縁結びを祈願するという人も多いのだとか。
地元の市民有志が、それぞれ「門田みたま」、「はたがみ織姫」というキャラクターを設定しています。

門田稲荷神社
名称 門田稲荷神社/かどたいなりじんじゃ
所在地 栃木県足利市八幡町387
関連HP 足利市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 東武鉄道野州山辺駅から徒歩10分
ドライブで 北関東自動車道太田桐生ICから約5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 下野國一社八幡宮社務所 TEL:0284-71-0292/FAX:0284-73-6292
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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