大森貝墟の碑(史跡大森貝塚)

大森貝塚といわれる場所は品川区(大森貝塚遺跡庭園)と、大田区の京浜東北線線路横の2ヶ所あります。大田区側には「大森貝墟」(おおもりかいきょ)の碑が立てられています。

かつては品川区、大田区で「貝塚の本家争い」も勃発!

NTTデータ大森山王ビル敷地内のためゲートがあります

モースが、「古代陶器の素晴らしい破片」などを拾い集め、「うれしさの余りまったく夢中になってしまった」場所は、昭和52年に、モース発掘時の地主に対する補償金関連文書が発見されるまで定かではありませんでした。

発掘調査で出土する遺物から品川区が優勢ではあったのですが、断定ができないため、昭和30年には、品川区、大田区の両方が国の史跡の指定を受けています。

大森駅に近い大田区側は、NTTデータ大森山王ビル南側の園地となった路地を下った(縄文時代の海岸へと下る道です)線路端に碑が立っています。

「大森貝墟」碑周辺も発掘調査が行なわれていますが、土器などの遺物はありません。
ただし、モースの報告書に、南の畑にも貝塚があったが、耕作で破壊されたと記されているので、このあたりにも貝塚が広がっていた可能性はあるのです。

さらに「大森貝墟」碑の文字は、理学博士・佐々木忠次郎の筆ですが、この佐々木忠次郎は、東京大学理学部生物学科の学生だった明治10年、モースの指導を受けて、発掘にも参加。後に近代養蚕学・製糸学の開拓者なった人物。その佐々木博士が、ここだったというのが大田区側の地だったのです。

明治12年、日本初の発掘報告書となる“Shell Mounds of Omori”と和文版『大森介嘘古物編』を出版していますが、そのなかでcord mark(直訳すると索痕)が「縄文」という言葉のルーツになっているのです。

ビル前にある貝墟碑のレプリカ
大森貝塚保存会とNTTが設置の解説板
大森貝墟の碑(史跡大森貝塚)
名称 大森貝墟の碑(史跡大森貝塚)/おおもりかいきょのひ(しせきおおもりかいづか)
所在地 東京都大田区山王1-3
関連HP 大田区公式ホームページ
電車・バスで JR大森駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 大田区郷土博物館 TEL:03-3777-1070
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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