旧安田庭園

本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷だった地で、庭園は元禄年間(1688年〜1704年)に笠間藩初代藩主となった本庄宗資(ほんじょうむねすけ)が築いた大名庭園。明治時代に安田財閥を起こした安田善次郎の所有になったので旧安田庭園の名があります。長居して人工的に池の干満を再現していることの確認を、ぜひ。

将軍・徳川綱吉、姉の桂昌院も本庄宗資の屋敷を訪ね、庭を探勝

本庄宗資は、はじめ公家の青侍(家臣)でしたが、徳川綱吉の生母・桂昌院の弟にあたるため、桂昌院の庇護を受けて大名に出世したのです。
元禄年間には将軍・綱吉や桂昌院が本庄邸に訪れたり、桂昌院が滞在したため、大名庭園を築く必要性が生じたのだと推測できます。

庭園は、幕末の安政年間1854年〜1860年)に隅田川の水を引いた潮入りの回遊庭園として整備されています。

明治維新後、旧岡山藩主・池田章政の邸宅となり、さらに明治22年、安田財閥を起こした安田善次郎の所有に。
その後、善次郎の遺志で、東京市に寄贈されましたが、関東大震災で往時の姿を失っています。

昭和2年、東京市が復興させ、公園として開園。昭和42年に墨田区に移管され、現在は区立の庭園となっています。
園北側の地下貯水槽(貯水量約800トン)を利用し、ポンプで水を汲み上げ、人工的に心字池の干満を生み出しています。
日本の歴史公園100選(実際には全国250の公園が選定されています)のひとつ。

平成28年11月〜平成29年3月には、休園して再整備を実施。
旧安田庭園の本来の姿である関東大震災前の姿を取り戻すため、池の周囲を中心に樹木を除伐しています。

安田善次郎

富山藩の足軽の家に生まれた安田善次郎は、奉公のため江戸に出て、両替商などに勤め、やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立。北海道で最初の私鉄である釧路鉄道を敷設し、釧路炭田を開発。日本の四大財閥のひとつ、安田財閥を起こしました。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂は、安田善次郎の寄贈。

鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を支援したため、鶴見線には安善駅(あんぜんえき)があります。
「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は善次郎の言葉とも。

江戸切絵図に見る 宮津藩下屋敷(松平伯耆守邸)

本庄宗資の子、本庄資俊(2代笠間藩主)は、松平資俊は、父・宗資が綱吉の生母・桂昌院の異父弟であることから異例の出世を遂げ、1705(宝永2)年には徳川ゆかりの松平性を与えられています。
江戸切絵図で松平伯耆守と記されているのが宮津藩の下屋敷。

切絵図は幕末の1850(嘉永3)年なので、藩主は地図が出版された3年後に富士登山を強行した松平宗秀。

旧安田庭園
名称 旧安田庭園/きゅうやすだていえん
所在地 東京都墨田区横網1-12-1
関連HP 墨田区観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR総武線両国駅西口から徒歩5分。都営大江戸線両国駅から徒歩7分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 墨田区道路公園課 TEL:03-5608-6291
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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