東福院坂(天王寺坂)

坂の途中にある宝珠山東福院の名から東福院坂と呼ばれ、また坂の南側に牛頭天王社・南蔵院(現・須賀神社)があったため、天王寺坂とも呼ばれました。一帯は天王横丁で、現在は須賀神社へと直進する階段になっています。この天王横丁は、池波正太郎の『鬼平犯科帳』でも「泣き味噌屋」「明神の次郎吉」に登場しています。

『鬼平犯科帳』に登場の坂道

宝珠山東福院も坂の途中に現存

「その坂道は天王横丁へつながってい、横丁を出れば麹町十三丁目の通りへ出る。坂道の上の西側に東福院という寺があり、その寺の土塀と、南伊賀町との間に細い坂道があって・・・」(池波正太郎『鬼平犯科帳』泣き味噌屋)。

江戸切絵図に見る 東福院坂(天王寺坂)


江戸切絵図からは天王寺坂から須賀神社へと直進する坂は描かれておらず、『君の名は。』に登場する階段も、江戸時代になかったことがわかります。

東福院坂(天王寺坂)
名称 東福院坂(天王寺坂)/とうふくいんざかてんのうじざか
所在地 東京都新宿区若葉2-2
電車・バスで 東京メトロ四谷三丁目駅から8分。または、JR・東京メトロ四ツ谷駅から徒歩7分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

愛染院

正式名は獨鈷山光明寺愛染院で、真言宗豊山派の寺。空海(弘法大師)ゆかりの寺を巡る御府内八十八ヶ所霊場18番札所。『群書類従』、『続群書類従』の編者として名高い国学者・塙保己一(はなわほきいち)の墓、内藤新宿を開設し、問屋・本陣を経営した高松

東福院

1575(天正3)年、法印祐賢上人(ほういんゆうけんしょうにん)が開基となって、大沢孫右衛門尉(おおさわまごえもんのじょう)が麹町(こうじまち)九丁目に開いた寺。江戸城の外濠開削、周辺整備のため、寺町全体として四谷に移りました。寺の前の坂道

須賀神社

東京・四谷(四谷十八ヶ町)の鎮守である須賀神社。1634(寛永11)年、赤坂一ツ木村の清水谷に鎮座した稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷に遷座したことに始まります。新海誠監督の長編アニメーション映画『君の名は。』の舞台になったことで、韓国な

 

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