『アンコ椿は恋の花』歌碑

『アンコ椿は恋の花』歌碑

伊豆大島(東京都大島町)の南端、波浮港(はぶみなと)を一望にする波浮港見晴台の一角に立つのが『アンコ椿は恋の花』歌碑。東京オリンピック開催の直前、昭和39年10月5日に発売された『アンコ椿は恋の花』は、都はるみ3枚目のシングル曲で、大ヒット(ミリオンセラー)となりました。

実は、東京行きの船は寄港しない波浮港

作詞は 山口県大島郡森野村(現・周防大島町)生まれで、遠洋漁業の乗組員の経験もある星野哲郎(『男はつらいよ』作詞も)、作曲は市川昭介。
都はるみは、『アンコ椿は恋の花』で、第6回日本レコード大賞の新人賞を受賞しています。

島の娘(アンコ)が北の都へ行ってしまった恋人を思ってすすり泣く惜別の歌ですが、星野哲郎は、自らの詩を「遠くにありて歌う遠歌」(星野えん歌)と表しています。
東京オリンピック開催、名神高速道路開通、東海道新幹線開業、マイカー時代の到来という本土の発展、それから少し取り残された伊豆大島という当時の世相を巧みに反映した名曲です。

昭和39年当時、東京湾汽船(東海汽船の前身)の貨客船「橘丸」(1772トン)は、波浮港には寄港せず、元町港に寄港していたので、実際には「連絡船の着く港」ではなく(利島との連絡船は発着がありました)、あくまで波浮港をイメージした歌詞ということになります。

さらにいえば、郵便も、東京港を夜出る夜行便に積めば、翌朝、元町港に着岸(西風が強い場合には岡田港に着岸)なので、よほどの大しけが続かなければ、「3日遅れの便り」という状態ではなかったので、こちらも、あくまでイメージということに。

東海道新幹線開業という世相で、冒頭の「三日おくれの 便りをのせて」というのは強く響くフレーズで、「歌詞は出だしの二行で決まる」(「僕の歌は最初の二行が一番いいところ。二行が決まると後はサーッとできる」)を信念とする星野哲郎にとっては、このフレーズで、当時の大衆の心をしっかり掴んだということに。

歌碑は平成12年に建立。
平成12年7月26日には、大島町・トウシキ広場で、『伊豆大島波浮港開港200周年記念 都はるみコンサート』も開催されています。

『アンコ椿は恋の花』歌碑
名称 『アンコ椿は恋の花』歌碑/『あんこつばきはこいのはな』かひ
所在地 東京都大島町波浮港
電車・バスで 元町港から東海汽船バス波浮港行きで40分、三中前下車
ドライブで 元町港から約14.7km。または、大島空港から約18.3km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 大島町観光課 TEL:04992-2-1446
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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