東京都中央区・佃島と江東区・越中島の間を流れる隅田川の派川・晴海運河(はせん・はるみうんが)の相生橋(あいおいばし)下の中洲が、隅田川水系唯一の中洲で、江東区立中の島公園として整備。塩の満ち引きの影響を受ける観潮池、渡り桟橋などが整備され、夜景の名所にもなっています。
東京初の水上公園として昭和2年に開園
明治29年に埋め立てで誕生した新佃島(現・中央区佃2丁目南部・佃3丁目)。
明治36年には川の中洲の中の島を挟んで初代の相生大橋(橋長147.0m)、相生小橋(橋長52.7m)が架橋されています。
大正12年7月には月島を結んで東京市電月島線が開業していますが、開通直後の大正12年9月の関東大震災で、木橋だった相生大橋、相生小橋は焼失。
帝都復興で内務省復興局が担当した隅田川六大橋(相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)のひとつとして、大正15年に2代目の相生橋が架橋されています。
その2代目相生橋の架橋を受け、昭和2年には、中の島に隅田川唯一の水上公園として、中の島公園が開園したのです(お台場ができるまで東京港唯一の水上公園でした)。
公園内には隅田川六大橋の架橋を、橋梁課長の田中豊とともに主導した帝都復興院土木局長・太田圓三(おおたえんぞう)の記念碑(レリーフ)が立っていましたが、戦後に神田橋脇の神田橋公園に移されています。
戦後の高度成長を受け、晴海運河の水質汚濁などから、訪れる人も減少し、昭和48年にいったん閉園されますが、水質改善から昭和55年に再度、開園されています。
さらに3代目の相生橋(平成11年8月全通)の完成にあわせ、ハギやススキが植栽。
初代の木橋時代には月見の名所でもあったので、月とススキという組み合わせを再現したのかもしれません。
清澄通りの相生橋の歩道から階段を降るのがアプローチ手段。
遊具やトイレはないのでご注意を。
越中島側には東京海洋大学があり、明治7年に竣工した鉄船「明治丸」(国の重要文化財)が陸上に保管され、中の島公園・明治丸は「江東八景」(昭和63年に区民の投票で選定)のひとつ。
越中島側の川岸には越中島公園(川沿いの部分は東京都が管理する隅田川テラス)、佃島側のスーパー堤防上部には石川島公園が整備され、相生橋や石川島公園などと併せて、犬の散歩やウォーキング・ジョギングの定番コースになっています。
江東区立中の島公園 | |
名称 | 江東区立中の島公園/こうとうくりつなかのしまこうえん |
所在地 | 東京都江東区越中島1丁目 |
関連HP | 江東区公式ホームページ |
電車・バスで | JR越中島駅から徒歩6分 |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
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