東叡山輪王寺(両大師)

東叡山輪王寺(両大師)

東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の東京国立博物館東側に建つのが東叡山輪王寺(寛永寺開山堂)。輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていたもので、天海大僧正(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を祀ることから両大師と称されています。

天海大僧正良源の両大師を祀る両大師信仰の原点

東叡山輪王寺(両大師)

正保元年(1644年)で、前年に没した東叡山寛永寺創建の天海大僧正を祀る開山堂(かいさんどう)として創建。
承応3年(1654年)、後水尾天皇第3皇子の守澄法親王が寛永寺の第3代貫主となり日光山主を兼任、さらに明暦元年(1655年)には天台座主にも就任し、比叡山、東叡山、日光山の三山を兼帯するようになりました(三山管領宮)。
こうした由来から、東京では唯一の門跡寺院となっているのが輪王寺です。

当時、東叡山(上野)は寛永寺で、日光山は満願寺。
その両山の山主が輪王寺宮ということなので、実際に輪王寺という寺があったわけではありません。
さらに明治維新で最後の輪王寺宮となる15世・公現法親王が還俗したため、輪王寺の称号は一時途絶しますが、明治16年に日光山、東叡山に輪王寺が再興。

現在では寛永寺境内、東叡山の開山、天海大僧正を祀る開山堂と同居するかたちで輪王寺が存在しています。
開山堂に祀られる天海大僧正ですが、德川家光の世継ぎ生誕を祈願する際、慈恵大師の姿を安置してご祈祷を行ない、見事に後の4代将軍・徳川家綱が生まれたなどの霊験から、慈恵大師の霊力が江戸市中はもとより、全国に流布されました。
江戸時代にブームとなった元三大師信仰(角大師信仰)は、天海大僧正が源でもあり、その両者の霊験があるのが両大師ということに。
江戸時代には両大師として大いに信仰されたのです。

現在祀られる慈恵大師像は、もともと寛永寺本坊内にあった慈恵堂(じえどう)から移したもの。

毎月3日が両大師の縁日です。

東叡山輪王寺(両大師)
東叡山輪王寺(両大師)
名称 東叡山輪王寺(両大師)/とうえいざんりんのうじ(りょうだいし)
所在地 東京都台東区上野公園14-14
関連HP 東叡山輪王寺(両大師)公式ホームページ
電車・バスで JR上野駅から徒歩7分
ドライブで 首都高速上野ランプから約1km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
寛永寺根本中堂

寛永寺根本中堂

西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の上野公園の大噴水の地

寛永寺・不忍池辯天堂

寛永寺・不忍池辯天堂

東京都台東区の上野恩賜公園にある不忍池(しのばずのいけ)の中島にあるのが寛永寺・不忍池辯天堂。寛永寺開山の天海僧正が、江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1645年)に創建したもので、祀られる本尊は、八本の腕があり、煩悩を打ち壊す武器を手に

寛永寺・時鐘堂(時の鐘)

寛永寺・時鐘堂(時の鐘)

東京都台東区、上野恩賜公園の不忍池(しのばずのいけ)寄り、上野精養軒近くに建つのが、寛永寺時鐘堂。「上野の時の鐘」として、時を今も告げる歴史的な時鐘です。寛文6年(1666年)に設置された鐘で、往時は江戸市中に9ヶ所の時の鐘がありましたが、

寛永寺・清水観音堂

寛永寺・清水観音堂

徳川3代(家康・秀忠・家光)に仕えた天海大僧正は、2代将軍・徳川秀忠から上野の山を寺地として与えられると寛永2年(1625年)、寛永寺を創建。寛永8年(1631年)に五重塔とともに創建されたのが清水観音堂で、京の清水寺を思わせるような懸造(

寛永寺・清水観音堂 月の松

寛永寺・清水観音堂 月の松

寛永8年(1631年)、東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が京の清水寺に倣って建立した清水観音堂。元禄7年(1694年)に現在地に移されていますが、「清水の舞台」の前に配されているのいるのが、歌川広重も浮世絵に描いた月の松。琵琶湖に見立てた不

寛永寺旧本坊表門

徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の官軍と彰義隊との

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ