江戸東京たてもの園・八王子千人同心組頭の家

江戸東京たてもの園・八王子千人同心組頭の家

東京都小金井市、都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園・西ゾーンにあるのが、八王子千人同心組頭の家(はちおうじせんにんどうしんくみがしらのいえ)。八王子千人同心は、八王子に配備された徳川家の家臣団で、当初は八王子の治安を維持する役割を担っていました。

平同心10人を統率した組頭の屋敷

江戸東京たてもの園・八王子千人同心組頭の家

八王子千人同心は、武田勝頼がが天目山で自刃し、武田氏滅亡後、徳川氏に召抱えられた小人頭(こびとがしら)が起源。
豊臣秀吉の小田原攻めで、北条氏が滅亡後、関東の地域支配の要である八王子周辺に駐屯(小平あたりまでの広範囲に暮らしていました)。
慶長5年(1600年)、こうした武田氏の遺臣に、八王子周辺の豪農層が加わり、大久保長安(おおくぼながやす)を長に、配下に地域支配を行う十八代官と、軍事(治安維持)を行う千人同心が配置されました。
八王子は、戦国時代には北条氏の拠点だった地で、北条氏滅亡後も、北条方の土豪などの勢力が潜伏し、不安定な情勢だったことで、治安部隊として八王子千人同心を配したのです。

小人頭は後に千人頭(せんにんがしら)と呼ばれるようになり、それぞれが10人の小頭(こがしら=組頭)を率い、ひとりの小頭が9人の小人(こびと=中間・ちゅうげん)を配下に置き、総勢1000名という態勢になったのです(千人頭1名に100名の同心が付く構成)。
リーダー格の千人頭は老中支配で、将軍にお目見えが許される旗本格、家禄は200石〜400石。
配下の千人同心は10俵1人扶持~50俵ほどの家禄で、身分は基本的に百姓に属し、年貢も納めていました(千人同心は兵農分離の近世でありながら、半農半士という異色の職業でした)。

享保年間以降は、治安が安定したこともあって、千人同心は老中・鎗奉行の支配となり、10人の千人頭がそれぞれ10人の組頭、10人の世話役、70人の平同心を率いる体制に変化しています(同心の総数も900人に減員)。

慶安5年(1652年)からはお役目に日光火の番(東照宮の防火と警備)、さらに18世紀後半には蝦夷地の開拓、国境警備なども担っています。
北海道苫小牧市にある勇武津資料館(勇払開拓史跡)は、寛政12年(1800年)、八王子千人同心がロシアの南進に備えての北方警備に入植した地で、千人同心の生活用具や出土した史料などを展示しています。

戊辰戦争では、慶応4年(1868年)、板垣退助の率いる新政府軍が八王子に進軍すると恭順し、武装解除し、徳川家に従い静岡に移住するもの(牧之原台地の開拓などに従事)、新政府に仕える者などに分かれています。


江戸東京たてもの園に移築されるのは、千人同心の組頭なので、平素は農業に従事していました。
屋敷の広さは、農家と変わりありませんが、式台付きの玄関などに、格式の高さをみることができます。

『新編武蔵風土記稿』、『新編相模国風土記稿』を編纂、『桑都日記』(そうとにっき/桑都=八王子)を著した塩野適斎(しおのてきさい)は、八王子千人同心組頭。

江戸東京たてもの園・八王子千人同心組頭の家
名称 江戸東京たてもの園・八王子千人同心組頭の家/えどとうきょうたてものえん・はちおうじせんにんどうしんくみがしらのいえ
所在地 東京都小金井市桜町3-7-1 都立小金井公園内
関連HP 江戸東京たてもの園公式ホームページ
電車・バスで JR武蔵小金井駅から西武バス、小金井公園西口下車。または、関東バス三鷹駅行きで江戸東京たてもの園前、小金井公園前、スポーツセンター入口、下車
ドライブで 中央自動車道調布ICから約8km
駐車場 小金井公園第1駐車場(454台/有料)・第2駐車場(114台/有料)
問い合わせ 江戸東京たてもの園 TEL:042-388-3300
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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