東京都北区、王子駅前の高台に広がる飛鳥山公園。その一画、旧渋沢庭園にあるのが渋沢史料館・青淵文庫(せいえんぶんこ)。渋沢栄一の傘寿(80歳)と、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ね、竜門社(渋沢史料館を運営する渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈したのが青淵文庫で、国の重要文化財に指定されています。
飛鳥山に残る渋沢栄一の書庫で接客の場
渋沢栄一は、設立に尽力し(明治5年、渋沢栄一の発議により創立)、明治8年に稼働した抄紙会社(しょうしがいしゃ/後の王子製紙、現・王子ホールディングス)の工場を眼下にする飛鳥山に、明治12年、別荘を構え、内外の賓客を招く館として活用、さらに明治34年から亡くなる昭和6年までは家族と過ごす日常の生活の場にもなっていました。
その居館は「曖依村荘」(あいいそんそう/空襲で焼失)と呼ばれ、渋沢栄一も飛鳥山をこよなく愛していました。
飛鳥山の旧渋沢庭園(「曖依村荘」跡)に建つ青淵文庫は、大正14年5月18日築で、レンガと鉄筋コンクリート造り、2階建て。
設計は大正9年に清水組(現・清水建設)を退職し、恩師・中村達太郎と中村田辺建築事務所を開設した田辺淳吉(たなべじゅんきち)。
明治42年には、渋沢栄一らの訪欧米視察団に随行員として参加しており、渋沢栄一の喜寿を記念して建設された誠之堂(せいしどう/大正5年築、深谷市に移築され現存)、旧富山銀行本店(旧高岡共立銀行/大正4年築)、旧第一銀行小樽支店(旧三菱銀行小樽支店/大正13年)などの銀行建築も手掛けています。
建設途中の大正12年、関東大震災で建物の一部は被害を受け、2階書庫に収蔵する予定であった「論語」をはじめ多くの漢籍も保管先で焼失、震災後に震災の経験を生かし再工事が行なわれています。
創建当時は、周囲には、日本館と西洋館からなる「曖依村荘」本館などが建っていました。
建物には、渋沢家の家紋「丸に違い柏」(まるにちがいかしわ)をもとにデザインした装飾タイルが使われ、ステンドグラスには柏の葉が描かれています。
渋沢栄一の書庫として、また接客の場としても使用されたたてもので、隣接の国の重要文化財に指定される洋風茶室「晩香廬」(ばんこうろ)、そして平成9年築の本館とともに、渋沢史料館を形成しています。
ちなみに青淵(せいえん)は、渋沢栄一の雅号で、富岡製糸場の初代場長で、学問の師でもあり従兄弟(いとこ)の尾高惇忠(おだかあつただ)からもらったもので、渋沢栄一の生家裏手に水が湧き出る美しい淵があったことにちなんで名付けたのこと。
深谷市にある渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)裏手の青淵公園に、「青淵由来之跡」の碑が立っています。
渋沢栄一の法名も泰徳院殿仁智義譲青淵大居士です。
渋沢史料館・青淵文庫(飛鳥山公園) | |
名称 | 渋沢史料館・青淵文庫(飛鳥山公園)/しぶさわしりょうかん・せいえんぶんこ(あすかやまこうえん) |
所在地 | 東京都北区西ヶ原2-16-1 |
関連HP | 渋沢栄一記念財団公式ホームページ |
電車・バスで | JR・東京メトロ南北線王子駅から徒歩7分 |
ドライブで | 首都高速王子北ランプから約1.6km |
駐車場 | 21台/有料 |
問い合わせ | 渋沢史料館 TEL:03-3910-0005 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag