東京大学発祥の地碑

東京大学発祥の地碑

東京都千代田区神田錦町3丁目、結婚式にも使われる学士会館の前に立つのが、東京大学発祥の地碑。東大は本郷キャンパスが有名ですが、明治10年4月12日、東京開成学校と本郷元富士町にあった東京医学校が合併して、この場所に東京大学が創立しています。

明治10年4月12日、東京大学が神田錦町に誕生

もともとは、元禄元年(1688年)、5代将軍・徳川綱吉が湯島にあった筑波大権現を祀る江戸別院を神田橋と一ツ橋の間に移し、筑波山護持院元禄寺を創建した地で、享保2年(1717年)正月に火災で一帯は焼け野原に。
火災を重視した8代将軍・徳川吉宗は、護持院を護国寺境内に移し、江戸城に対する防火機能ということもあって跡地は火除地(護持院ヶ原)としました(護持院は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺になり、神仏習合の筑波山信仰は廃れていきました)。

江戸時代、将軍の放鷹の場などとして使われましたが、幕末の文久2年(1862年)、蕃書調所(ばんしょしらべしょ=江戸幕府直轄の洋学研究教育機関)が洋学調所と改称して護持院ヶ原に移転、文久3年8月29日(1863年10月11日)、組織が拡充されて開成所と改称しています。

この開成所が東大のルーツで、文久4年(1864年)、欧米の教育に倣って教授科目を蘭、英、仏、独、露の語学と天文、地理、窮理(きゅうり=物理)、数学、物産、化学、器械、画学、活字の諸科と定めています。

幕末に大政奉還とともに一時期組織としては解体されますが、慶応4年6月13日(1868年8月1日)、医学所とともに明治新政府に接収され、慶応4年・明治元年9月12日(1868年10月27日)、官立の開成学校として再生され、イギリス人・バーリー、フランス人・プーセーによって英語、フランス語の教育が始まりました。

明治10年4月12日に創立した東京大学は、法、理、医、文4学部と予備門を有した日本で初めての近代的な大学。
東京大学発祥の地は、日本の大学発祥の地ともなっているのです。
本郷へ移転は明治17年8月、本部事務室と法学部・文学部が移転したのが最初。

護持院ヶ原には東京大学のほか、東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地であり、さらに神田駿河台の明治大学(明治14年、明治法律学校)、神田須田町の中央大学(明治18年、英吉利法律学校)などもできたことで、神保町書店街が形成され、教育・文化の中心地として発展したのです。

東京大学発祥の地碑
名称 東京大学発祥の地碑/とうきょうだいがくはっしょうのちひ
所在地 東京都千代田区神田錦町3-28地先
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄神保町駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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東京都千代田区有楽町2丁目、数寄屋橋公園近くにあるのが、明治大学発祥の地記念碑。明治大学というと神田駿河台のイメージがありますが、明治14年1月17日、麹町区数寄屋橋の一角、旧島原藩上屋敷「三楽舎」を校舎に明治法律学校として創立。岸本辰雄ら

日本野球発祥の地碑

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