東京都小笠原村、東京都心から1740kmも離れた小笠原諸島の孤島で、北緯20度25分31.97秒という日本最南端に位置する島が、沖ノ鳥島(おきのとりしま)。南北1.7km、東西4.5km、周囲11kmほどの楕円形をしたサンゴ礁の島で、北回帰線の南に位置する熱帯の島。公共交通機関による到達はできません。
小笠原村沖ノ鳥島1番地(北小島)、2番地(東小島)
三等三角点「北小島」が設置される北小島、一等三角点「沖ノ鳥島」が設置の東小島からなり、ともに海抜は1mほどなので、高潮(満潮)時には数cm、あるいは十数cmが海面に顔を出すという島で、海面上昇により、水没する危険にもさらされています。
当然、東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地(北小島)、2番地(東小島)と地番も割り当てられています。
サンゴ礁の小さな島ですが、沖ノ鳥島の周囲は、水深は4000m~7000mと急に深くなっており、断面化すると海底にある富士山の山頂部がかすかに海上にある感じです。
海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)の第121条 第1項で、「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」と定義され、第3項に「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」とあるため、島と岩とでは大違い。
実は、島であるならば、日本の国土面積(38万平方km)を上回る40万平方kmもの排他的経済水域を有する重要な場所ということに。
逆に、地球温暖化などで島でなくなると、なんと40万平方kmもの排他的経済水域を失うことになるのです。
そのため、沖ノ鳥島は、一般の入島が禁じられ、国土交通省が管理。
島の浸食を防止するため(波の高さは年平均で1.3m、台風などの最大時は16mを越える波が発生する荒波地帯)、島の周囲に鋳鉄製消波ブロックによる消波堤を設置し、内部に直径50mの円形コンクリート製護岸が配置されているのです。
現在は無人島ですが、北側桟橋、中央桟橋、南側桟橋と荷捌施設が建設され、将来的には有人島として整備する可能性も。
沖ノ鳥島灯台も設置され(平成19年3月16日初点灯)、日本最南端の灯台となっています。
近年は、郵船クルーズの「飛鳥Ⅱ」などクルーズ船で沖ノ鳥島、南鳥島周辺海域を周遊するツアーが企画されることもあり、目下、こうしたクルーズに参加することが唯一の洋上見学のチャンスということに。
沖ノ鳥島「発見」の歴史
歴史的には、天文12年(1543年)、スペイン船「サンファン号」が発見し「アブレオホス」(Abre Ojos)と名付けたのが最初といわれ(この島が沖ノ鳥島だったのかに関しては諸説あります)、さらに永禄8年(1565年)、 スペイン船が再度発見、パレセベラ(Parece Vela)と命名するなど、戦国時代に発見されのが始まり。
江戸時代になってからも、寛永16年(1639年)、オランダ船が発見、エンヘルスドローフテ(Engelsdroogte)と命名、寛政元年(1789年)にはイギリス人のウィリアム・ダグラスが目撃し、「ダグラス礁」(Douglas Reef)と呼ばれるようになっています(領有権の主張はありませんでした)。
日本側の動きとしては、大正11年、日本海軍の海防艦「満州」が測量し(大正14年10月3日、マリアナ海溝で水深9814.6mの錘測に成功しています)、昭和4年、海軍水路部発行の海図第800号に「沖ノ鳥島」の名称で記載、昭和6年、内務省告示第163号で「沖ノ鳥島」と命名され、東京都小笠原支庁に編入されています。
沖ノ鳥島 | |
名称 | 沖ノ鳥島/おきのとりしま |
所在地 | 東京都小笠原村沖ノ鳥島 |
関連HP | 小笠原村公式ホームページ |
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