三田春日神社

三田春日神社

東京都港区三田2丁目、慶應義塾大学三田キャンパス東門に隣接して建つのが、三田春日神社(みたかすがじんじゃ)。天徳2年(958年)、武蔵国国府に赴任した藤原正房が氏神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を春日大社第三殿から勧請して創建。江戸府内唯一の春日社として諸大名にも尊崇された社です。

江戸府内唯一の春日社として大名も尊崇

三田春日神社

社前を走る国道1号から階段を上った先に、拝殿、幣殿、そして春日造り本殿が東向きに建っています(ガレージ横の門の先にエレベーターがあり、車椅子やベビーカーでも参拝できます)。
重陽の節句9月9日に近い金・土・日曜に例大祭を斎行。

当初は目黒三田にありましたが、天文年間(1533年〜1555年)に現社地に遷座しています。
中世には神仏習合となり、空海作と伝承される十一面観音を本尊に迎えています。
寛永2年(1625年)、上野に天海僧正が寛永寺を開くと、その末寺の妙禅院が別当(神社を管理する寺)となり、江戸府内唯一の春日社として江戸参府の諸大名の参拝も多かったと伝えられています。
重陽の節句の例大祭には大名なども熨斗と菊花一枝を添えて奉献、直会に菊酒を汲む神事が執り行なわれていました。

往時の社殿は空襲で消失し、現在のものは昭和34年9月の再建。
目黒区三田には兼務社の目黒三田春日神社がありますが、最初の鎮座地がその地。
昭和9年に再興された社です。

授与品には春日神社らしく、「幸福 鹿まもり」も。
祭神の天児屋根命は、出世の神でもあるので、慶應義塾大学受験の際には合格祈願、あるいは塾生の入社祈願などの諸祈願にも最適です。

三田春日神社の北側はかつての伊予国松山藩上屋敷(松平隠岐守邸)跡で、松平定直(まつだいらさだなお)が藩主の時代に、『忠臣蔵』で知られる赤穂浪士47名のうち10名(大石良金・堀部武庸・木村貞行・中村正辰・菅谷政利・千馬光忠・不破正種・大高忠雄・貝賀友信・岡野包秀)が自害した場所です。
松山藩は10名を罪人として扱い、切腹当日は「早天より切腹人に水風呂使わし、みな謦咳の有様にて切腹申付を憂惧して拝す」と記されています。
切腹の地は、駐日イタリア大使館内で見学することはできません。

三田春日神社
『江戸切絵図』芝高輪辺絵図に見る三田春日神社
三田春日神社
名称 三田春日神社/みたかすがじんじゃ
所在地 東京都港区三田2-13-9
電車・バスで JR田町駅・都営地下鉄三田駅、赤羽橋駅から徒歩10分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 三田春日神社 TEL:03-3451-5420/FAX:03-3451-5132
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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