東京都台東区上野桜木1丁目、寛永寺境内に造営された4代将軍・徳川家綱の霊廟の門が、厳有院霊廟勅額門(げんゆういんれいびょうちょくがくもん)。霊廟は東京大空襲で大部分が焼失していますが、勅額門は延焼を免れ、水盤舎、奥院唐門、奥院宝塔とともに国の重要文化財に指定。
4代将軍・徳川家綱の霊廟の門が現存
4代将軍・徳川家綱の治世は、徳川幕府も安定し、武断政治から文治政治への転換を図った時代です。
寛文6年(1666年)、酒井忠清(さかいただきよ=酒井雅楽頭家嫡流、酒井忠世の孫)が大老に就任し、仙台藩・伊達家で生じた伊達騒動(寛文事件)などを解決しています。
徳川家綱自身は世継ぎがなく、延宝8年(1680年)に病に倒れたため、末弟(徳川家光の四男)である館林藩主・松平綱吉を次期将軍に迎えています。
延宝8年5月8日(1680年6月4日)没(享年40)。
戒名は、厳有院殿贈正一位相国公。
厳有院霊廟勅額門は、切妻造り、銅瓦葺きの四脚門で、「厳有院霊廟勅額門及び水盤舎」として国の重要文化財に指定(管理者は寛永寺)。
勅額門とは天皇直筆の扁額を有する門のことですが、現在は扁額はありません。
奥院は現在、個人所有ですが、勅額門は寛永寺所有のため外観の見学も可能(門の内部は私有地のため柵越しの見学となります)。
東京にある将軍家の霊廟建築としては、上野寛永寺には、厳有院霊廟勅額門(徳川家綱)のほか、5代将軍・徳川綱吉の常憲院霊廟勅額門が現存。
芝の増上寺に7代将軍・徳川家継の有章院霊廟二天門、芝公園(旧増上寺境内)に2代将軍・徳川秀忠の旧台徳院霊廟惣門が現存しています。
厳有院霊廟勅額門 | |
名称 | 厳有院霊廟勅額門/げんゆういんれいびょうちょくがくもん |
所在地 | 東京都台東区上野桜木1 |
関連HP | 台東区公式ホームページ |
電車・バスで | JR・京成電鉄鶯谷駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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