動坂遺跡

動坂遺跡

東京都文京区本駒込3丁目(駒込病院敷地内)、縄文時代の遺跡(貝塚)の上に江戸時代の遺構が重なるのが、動坂遺跡(どうざかいせき)。昭和49年、都立駒込病院の外溝工事中に貝塚が発見され、発掘調査の結果、住居跡と土器が出土しています。また江戸時代には8代将軍・徳川吉宗が復活した鷹狩の鷹匠の屋敷があった場所です。

本郷台に縄文のムラがあり、浅い海で漁労生活を営んでいた

駒込病院敷地内に動坂貝塚記念碑が立つのみですが、縄文時代中期(4500年前)の20余の竪穴式住居、土塁が出土することから縄文人のムラがあったことがわかっています(碑の下には住居跡と貝塚がそのまま保存されています)。
遺構から、漁労に錘(おもり)として使われたと推測される石錘(せきすい)が多く出土することから、現在の谷地が、古江戸湾の浅い海だった時代に、魚介類を主食に縄文人が定住したことが推測されています。
貝類は、ヤマトシジミを中心に、マガキ、ハマグリ、サルボウ、魚類ではクロダイ、スズキ、アジ、イワシ、コイ、獣にはシカ、イノシシ、キツネなどが出土しています。
隣接する本駒込4丁目の神明町遺跡からは住居跡は見つかっていませんが、やはり石錘などは多数出土。

ちなみに動坂の坂上に位置するために動坂遺跡の名があります。

文京区内からは、御茶の水遺跡、小石川植物園遺跡、弥生町遺跡など18ヶ所の縄文遺跡が発見されています。

動坂遺跡
名称 動坂遺跡/どうざかいせき
所在地 東京都文京区本駒込3-18 駒込病院敷地内
関連HP 文京区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ本駒込駅から徒歩15分
問い合わせ 文京区アカデミー推進課観光担当 TEL:03-5803-1174/FAX:03-5803-1369
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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