東京都文京区千駄木、根津神社裏門あたりから、本郷台地の縁(へり)に沿って駒込へと続く道が、藪下通り。崖の上の薮の下を通ったことが名の由来と推測され、途中には汐見坂と呼ばれる部分があるので、往時には海が見えたことがわかります。しろへび坂周辺の路側は遊歩道になっていて散策に最適。
本郷台地と根津谷の間の崖線上を通る道
「この道ほど興味ある処(ところ)はない」と永井荷風(ながいかふう=現在の文京区春日2丁目に生誕)も愛した藪下通りですが、近年はマンションの建設などで、往時の趣きは失われています。
両側は笹薮で雪の日には、その重みで垂れ下がった笹が道を塞いでしまうほどだと伝えられますが、今では昔話で、自動車も走る舗装道路に変身。
藪下通り・汐見坂の南側には文豪・森鴎外の旧居「観潮楼」(かんちょうろう=現・森鴎外記念館)があったため、多くの文人がこの道を通っています。
森鴎外『青年』には、「藪下の狭い道に這入る。多くは格子戸の嵌っている小さな家が、一列に並んでいる前に、売物の荷車が止めてあるので、体を横にして通る。右側は崩れ掛って住まわれなくなった古長屋に戸が締めてある」という記述がありますが、この「藪下の狭い道」が藪下通りです。
「わたくしの家の楼上から、浜離宮の木立の上を走る品川沖の白帆」が見えることから、森鴎外は邸宅を「観潮楼」と名付けていますが、汐見坂あたりも眺めが良かったのだと推測できます。
森鴎外記念館(「観潮楼」跡)近くのしろへび坂からは海は見えませんが、東京スカイツリーが姿を見せます。
また藪下通りから解剖坂(日本医科大学付属病院北側の坂道)を上れば、夏目漱石旧居跡(猫の家)があり、夏目漱石はイギリスから帰国後の明治36年から3年間、この地に暮らしていました(表示、猫のオブジェなどがあるのみで遺構はありません)。
藪下通り西側には太田道灌の屋敷地、明治時代の太田子爵の屋敷の森の一部という「千駄木ふれあいの杜」(千駄木1-11)があり、崖線の自然が残されているので、散策途中にお立ち寄りを(夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』の猫が拾われたのも一帯の屋敷地です)。
ちなみに、藪下通りの起点ともいえる根津神社(江戸時代には根津権現)は、宝永3年(1706年)、現社地に遷座していますが、それ以前は団子坂、薮下通りの西側に鎮座していました。
藪下通り | |
名称 | 藪下通り/やぶしたどおり |
所在地 | 東京都文京区千駄木1丁目・2丁目 |
電車・バスで | 東京メトロ東大前駅、根津駅から徒歩10分、または、東京メトロ千駄木駅から徒歩5分 |
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