東京都墨田区、隅田川の東岸、向島にある言問団子(ことといだんご)が名物の老舗が、言問団子。植木師だった外山佐吉(とやまさきち)が幕末に創業したという老舗で、あずき餡と白餡、青梅(黄色い味噌餡)という3色で、創業当初、水戸藩下屋敷が近くにあったことから「青梅」が生まれたのだとか。
店内で味わうことも、土産で購入も可能
江戸時代、向島界隈は、大名家の下屋敷が建ち並んでおり、初代となる外山佐吉も庭師として屋敷に出入りしていました。
ときは幕末から維新へという激動の時代(慶応年間)で、外山佐吉は植木職人に見切りをつけ、団子を商う茶店「植佐」に転身したのです。
団子とはいうものの、串に刺さなかったのが、植木職人でもあった外山佐吉の美的感覚、そして独創性で、黒、白、黄と三色を和菓子の趣で皿にのせたところ、その風流さが人気に。
明治元年、長命寺に逗留していた歌人の花城翁の助言もあり、「名にしおはばいざ言問はん都鳥」という平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)の歌から言問団子という屋号、団子名にしたのです。
今戸の渡しなど、隅田川の渡し場にも近く、人の往来も多かったことから、茶店はにぎわい、隅田川の桜並木と言問団子は向島の名物として知られるようになったのです。
竹久夢二、幸田露伴、野口雨情など文人墨客、風流人にも愛され、『夢二日記』にも「ことゝひのおだんごがとにかくおいしい」と記されています。
官道大震災からの帝都復興で誕生した言問橋(竹屋の渡し跡なので、竹屋橋の可能性も)、言問通りなどの名が生まれたのも、この「言問団子」があったからこそ。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』にも登場しますが、モデルとなる長谷川平蔵の時代には、まだ言問団子はなく、茶店では串に刺した団子が売られていました。
享保2年(1717年)、長命寺の門番だった初代が考案したという桜もちの「長命寺 桜もち 山本や」、明治2年創業で向島百花園帰りのお土産の定番といわれる「志”満ん草餅」、そして言問団子が、向島の三大老舗和菓子店といえるでしょう。
「松屋 浅草店」1階の「浅草すいーつ小町」などでも販売。
ちなみに隅田川とうろう流しは、明治11年、初代の外山佐吉が警視庁に願い出て、水死者慰霊として復活させたもの。
言問団子 | |
名称 | 言問団子/ことといだんご |
所在地 | 東京都墨田区向島5-5-22 |
関連HP | 言問団子公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ・都営地下鉄・東武スカイツリーライン浅草駅から徒歩15分 |
問い合わせ | 言問団子 TEL:03-3622-0081 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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