柿原堰

柿原堰

吉野川を横断する790mの堰が柿原堰(かきはらせき)。板名用水(柿原樋門から取水)に水を導くため明治39年に工事が始まり大正8年に完成した堰です。幅は52尺(約16m)あり、吉野川河口から24km上流の阿波市吉野町に位置しています。当初は青石を主に長さ240mほどだった堰もコンクリートなどの補修作業で長大な堰に変身。

吉野川流域の農地の藍作から稲作への転身を目的に築かれた堰

明治中期に安価なインド産の藍、さらには合成染料の輸入などにより、藍作から稲作への転身を目的に築かれた板名用水は今も822haの土地を潤す現役の用水。
堰の下流は、太公望たちが訪れる絶好のアユ釣りポイントになっています。

吉野川下流域は、藩政時代から明治初期にかけて、阿波藍が主産物でしたが、インド藍や化学塗料が輸入されたことにより地域の農業は大打撃を受けていました。
日露戦争が始まると、国を挙げての食糧増産が必要となりましたが、大干魃もあって農家は困窮。
その打開策として板野郡高志村(現・上板町)の藍商・武知唯七は、吉野川の水を利用した水稲栽培を計画、柿原堰が構築されたのです。

宝暦2年(1752年)に完成した第十堰(だいじゅうぜき=第十は地名)は、柿原堰の下流にあります。
 

柿原堰 DATA

名称 柿原堰/かきはらせき
所在地 徳島県阿波市吉野町柿原
関連HP 阿波市公式ホームページ
ドライブで 徳島自動車道土成ICから約5km
問い合わせ 阿波市商工観光課 TEL:0883-36-8722
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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