見性寺

見性寺

徳島県板野郡藍住町にある臨済宗妙心寺派の寺が、見性寺(けんしょうじ)。戦国時代に阿波国(現在の徳島県)を統治した三好氏の菩提寺で、三好氏歴代の墓があります。境内の一部は勝瑞城跡(しょうずいじょうあと)として国の史跡の指定されるほか、続日本百名城にも選定されています。

境内には「勝瑞義冢碑」、三好氏4代の墓も

見性寺
勝瑞義冢碑

鎌倉時代の宝治3年(1249年)、翠桂によって岩倉(現・美馬市脇町岩倉)に開山。
三好之長(みよしゆきなが=三好氏の畿内進出を果たした名将)時代の永正年間(1504年〜1521年)に勝瑞に移っています。

境内に現存する三好氏歴代の墓は、三好之長、三好元長(みよしもとなが=室町幕府34代管領・細川晴元に仕える)、三好実休(みよしじっきゅう=三好元長の次男で、勝瑞館を構える)、三好長治(みよしながはる=三好実休の長男、阿波国の大名となるも、領民に対して法華宗への改宗を強要、25歳で討ち死に)のものと伝えられています。

また敷地内には徳島藩の儒員で四国正学と称された那波魯堂(なばろどう)が阿波三好氏の盛衰を漢文で記した「勝瑞義冢碑」(しょうずいぎちょうひ)も立っています。

見性寺一帯が、勝瑞城跡で、徳島県道14号(松茂吉野線)を隔てた南側に三好氏の居館だった勝瑞館跡(しょうずいやかたあと)があり、大量の土師器皿や国内外産陶磁器などが出土しています。

見性寺
名称 見性寺/けんしょうじ
所在地 徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地176
電車・バスで JR勝瑞駅から徒歩10分
ドライブで 徳島自動車道藍住ICから約5km。高知自動車道板野ICから約7km
駐車場 あり/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勝瑞城

勝瑞城

徳島県板野郡藍住町勝瑞にある中世の城郭が、勝瑞城(しょうずいじょう)。室町時代後半に阿波国守護・細川氏によって 守護所が置かれた地で、戦国時代に阿波国を掌握した三好氏の拠点。城下は中世の城下町として反映しました。勝瑞城の遺構は、国の史跡に指

 

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