倭文神社(伯耆一之宮)

湯梨浜町にある古社で伯耆国(ほうきのくに)一之宮。機織(はたおり)に携わった倭文氏(しずりうじ)が祖神の建葉槌命(たけはづちのみこと=倭文神)を祀ったのが起源。下照姫命(したてるひめのみこと)など出雲の神々をも祀っています。戦国時代には尼子氏が社殿を再建し、藩政時代には鳥取藩主の祈願所となりました。

境内の経塚から国宝指定の金銅観音菩薩立像などが出土!

社伝では出雲から渡った下照姫命が現・湯梨浜町宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったとされ、大正時代までは下照姫命が主祭神であるとされていました。その後、『式内社調査報告』で、古代に建葉槌命を祀ったのが始まりとされています。

境内には末法思想が色濃く反映された古代の経塚も現存。その経塚から出土の金銅観音菩薩立像、銅造千手観音菩薩立像、銅板線刻弥勒立像、瑠璃玉、素文鏡、銅銭は「伯耆一宮経塚出土品」として国宝に指定されています(東京国立博物館蔵)。経塚はまさにタイムカプセルだったわけです。

下照姫命が女神だったこともあり、古来から安産信仰で有名で、今も安産祈願の参詣者が多いのも特長です。

金銅観音菩薩立像(左)・銅造千手観音菩薩立像(右)/東京国立博物館蔵
鳥取県に3社! 式内社の倭文神社
ちなみに倭文とは、「しずおり」の意。倭文氏は倭文部(しとりべ)を統率した古代の技能集団で、倭文神社は平安時代編纂の『延喜式神名帳』に、伯耆国川村郡(鳥取県東伯郡湯梨浜町)の倭文神社のほかに、伯耆国久米郡(現・鳥取県倉吉市の倭文神社=伯耆三之宮)、因幡国高草郡(現・鳥取県鳥取市の倭文神社)、但馬国、丹後国、伊勢国、駿河国、伊豆国、常陸国、但馬郡、上野国に12社が記載されています。いずれの地も古代に倭文氏が入植し、地域の産業として織物を発展させた地と推測できます。そのルーツは、二上山山麓(奈良県葛城市)の葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)といわれています。
倉吉に鎮座する倭文神社(伯耆三之宮)
倭文神社(伯耆一之宮)
名称 倭文神社(伯耆一之宮)/しとりじんじゃ(ほうきいちのみや)
所在地 鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
関連HP 倭文神社公式ホームページ
電車・バスで JR山陰本線松崎駅からタクシーで5分
ドライブで 鳥取自動車道鳥取ICから約36km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 倭文神社 TEL:0858-32-1985
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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