後醍醐天皇御腰掛の岩

後醍醐天皇は1333(元弘3・正慶2)年、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から命がけで脱出し、名和の湊(現・御来屋漁港)に上陸。後醍醐天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「お腰掛けの岩」と呼んでいます。

後醍醐天皇隠岐脱出と名和長年

御来屋漁港はかつての名和湊

漁港改修工事のため、現在では陸の上に位置していますが、その脇には「忘れめや よるべもなみの荒磯を 御舟の上にとめし心を」という後醍醐天皇の歌碑も立てられています。

名和長年は、伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)で海運業を営んでいた名和家の当主。
名和長年は、後醍醐天皇を船上山(せんじょうさん=現・鳥取県東伯郡琴浦町)に迎え、討幕運動に参加。鎌倉幕府軍を船上山で迎え撃ち、隠岐守護の佐々木清高らの軍勢を撃退(船上山の戦い)。後醍醐天皇復権(建武の新政)への大きな転機となりました。
戦功のあった名和長年は、後醍醐天皇の建武の新政で楠木正成らとともに天皇近侍の武士となっています。末裔(まつえい)には福岡県名和神社宮司の名和氏がいます。名和長年とその一族を祀る神社として大山町に名和神社があります。

後醍醐天皇
名和長年
後醍醐天皇御腰掛の岩
名称 後醍醐天皇御腰掛の岩/ごだいごてんのうおこしかけのいわ
所在地 鳥取県西伯郡大山町御来屋
関連HP 大山観光局公式ホームページ
電車・バスで JR山陰本線御来屋駅から徒歩15分
ドライブで 山陰自動車道名和ICから約2km
駐車場 1台/無料
問い合わせ 大山町観光商工課 TEL:0859-53-3110
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

船上山

2016年11月27日

 

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