鳥取県境港市の境水道に隣接する公園が境台場公園。幕末の文久3年(1863年)に鳥取藩が外国艦船への防備のため藩内の海岸部に築いた砲台(台場)8ヶ所(因幡国3ヶ所、伯耆国5ヶ所)のひとつ、鳥取藩境台場跡です。往時の遺構が残された台場跡は、公園となり春には桜咲くお花見の名所にもなっています。
鳥取藩の海防を象徴する台場の跡
鳥取藩の台場としては最西端に位置する境台場は、松江藩防備を目的に元治元年(1864年)完成。
砲台下の土塁の盛り砂は弓ヶ浜などから運び、その上を覆った土は、孝霊山(こうれいざん)麓の黒土を淀江(現・米子市淀江町)から船で輸送しています。
基盤の石と山土は、松江藩側の島根半島のもの。
稜堡式6稜型の台場は鳥取藩では唯一のもの。
8ヶ所のうち、規模が最大規模で、重装備の台場が境台場でした。
鳥取藩は幕末に江戸湾や大坂湾(大阪湾)の防備も担当し、安政4年9月には六尾村(現・北栄町六尾)に六尾反射炉を完成させ、藩内の砂鉄などを使って大砲を鋳造、江戸湾防備や大坂天保山台場には自前の大砲を備えています。
境台場は、鳥取藩の設計士で淀江台場も担った松波宏元(まつなみひろもと)が基本設計、18斤砲など12門(当初は18斤砲2門、6斤砲6門、5寸径砲5門の計8門)を配備しました。
幕末に鳥取藩が藩内に築いた台場は、浦富台場(東側は現存、西側は滅失/国の史跡)、浜坂台場(新田、柳茶屋とも滅失)、加路台場(東浜、西浜ともに滅失)、橋津台場(一部現存/国の史跡)、由良台場(良好に現存/国の史跡)、赤崎台場(現存/国の史跡)、淀江台場(一部現存/国の史跡)、そして境台場(国の史跡)。
境台場公園東北隅にあるレトロな灯台は、明治28年に初点灯の山陰最初の灯台を、平成3年に復元したもの。
園内に立つ慰霊塔は、昭和2年8月24日の連合艦隊夜間大演習の際(ワシントン海軍軍縮条約後、「訓練に制限無し」を掛け声に演習が行なわれました)、多重衝突事故(美保関事件)で遭難した駆逐艦「蕨」(わらび/蕨殉職者、五十嵐艦長ほか91名)、駆逐艦「葦」(あし/葦殉職者27名)の殉職者たちの弔魂の碑です。
境台場公園から見上げる美しいトラス橋は、境水道大橋で、橋上からは境台場公園を一望にします。
境台場公園(鳥取藩境台場跡) | |
名称 | 境台場公園(鳥取藩境台場跡)/さかいだいばこうえん(とっとりはんさかいだいばあと) |
所在地 | 鳥取県境港市花町 |
関連HP | 境港市観光ガイド |
電車・バスで | JR境港駅から徒歩30分 |
ドライブで | 山陰自動車道日野川東ICから約20km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 境港市観光協会 TEL:0859-47-3880 |
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