富山県黒部市生地の海岸にある幕末に築かれた海岸防備の砲台跡が生地台場(いくじだいば)。嘉永3年(1850年)8月、加賀藩が沿岸防備のため、領内海辺17ヶ所に外国船監視の大筒台場を築造しましたが、伏木台場(現・高岡市・小矢部川の河口)、放生津台場(現・射水市放生津八幡宮)、氷見台場(現・氷見市)とともに越中国4台場のひとつ。
幕末に加賀藩が築いた外国船監視の砲台跡
文政8年(1825)2月、幕府は近海に出没する外国船に「打ち払い令」を発令。
金谷多門らが藩内の加賀・能登・越中における台場築造場所選定のため、現地調査を行ない、6ヶ所(本吉・大野・黒島・輪島・宇出津・伏木)が決定し、築造されました。
さらに嘉永4年(1851年)、鈴見鋳造所が建設され、大砲・鉄砲・弾薬の製造を開始。
今浜・狼煙・氷見・放生津・生地・寺津・畝田の台場が築造されました(最終的には加賀・能登・越中3州の沿岸17ヶ所に台場が配置されています)。
生地台場は、五辺からなる円弧状の台場で、幅8m、長さ約63m、高さ約2.5m。
加賀藩士80人あまり常駐。
加賀藩の台場で唯一その姿が残っていたもので、富山県の文化財に指定されています。
台場の上には往時の様子がわかるように2門の大砲を復元(往時には大砲5門が備わっていました)。
台場近くには生地鼻灯台が建っています。
ちなみに、加賀藩の台場は一度も使用されることはなく、明治維新を迎えています。
名称 | 生地台場/いくじだいば |
所在地 | 富山県黒部市生地芦崎下浦328 |
電車・バスで | あいの風とやま鉄道生地駅から徒歩30分 |
ドライブで | 北陸自動車道黒部ICから約7.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 黒部市教育委員会 TEL:0765-54-2111 |
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