富山県氷見市にあるかつての十二町潟(じゅうにちょうがた)の面影を残す公園が十二町潟水郷公園。十二町潟排水機場裏の森辺りは乎布の浦(おふのうら)、布勢の水海(ふせのみずうみ)と呼ばれていた「萬葉布勢水海之跡」。万葉の歌人、大伴家持が越中の国守として現在の高岡市伏木に赴任していた頃、たびたび訪れて遊覧していた景勝地です。
「十二町潟オニバス発生地」は国の天然記念物
万葉時代、現在の氷見市一帯には「布勢の水海(ふせのみずうみ)」という大きな潟湖(せきこ)が広がっていました。
その後、海の退行や乾燥化、干拓などで十二町潟の水郷地帯は消滅寸前になっていますが、都市公園として整備されたのが十二町潟水郷公園。
巨大で生育数が多いとの理由から「十二町潟オニバス発生地」として国の天然記念物にも指定されています。
十二町潟の北側に整備された万葉植物園やいこいの広場と南側のオニバスの池(オニバス開花は8月中旬~下旬)、水生植物園、野鳥観察池、菖蒲園を結んで十二町潟横断橋もあり、これが公園のシンボルに。
橋のデザインは、昭和40年頃まで存在していた「アド」(網処=網を水中に沈めて頃合いを見計らって引き揚げる魚を捕る仕掛け小屋)と呼ばれる漁法の見張り小屋と網を模したものです。
『万葉集』に歌われる乎布の浦
天平20年(748年)、橘諸兄(たちばなのもろえ=敏達天皇の後裔)の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れた田辺福麻呂(たなべのさきまろ/田辺氏は百済系渡来氏族)は、乎布の浦を遊覧し「おろかにそ 我は思ひし 乎布の浦の 荒磯(ありそ)のめぐり 見れど飽(あ)かずけり」(『万葉集』巻18-4049/おろそかに私は思っていたことだ。乎布の浦の荒磯のあたりは、見ても見飽きないですね)と歌っています。
大伴家持も「乎布(をふ)の崎 漕ぎた廻(もとほ)り ひねもすに 見とも飽くべき 浦にあらなくに」(『万葉集』巻18-4037/乎布の崎、その崎を漕ぎ巡って、日がな一日見ても見飽きるというような浦ではないのですぞ。そこは)と歌っています。
名称 | 十二町潟水郷公園/じゅうにちょうがたすいごうこうえん |
所在地 | 富山県氷見市十二町177-1 |
関連HP | 氷見市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR氷見駅から徒歩25分 |
ドライブで | 能越自動車道氷見ICから約4.5km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 氷見市観光・マーケティング・おもてなしブランド課 TEL:0766-74-8106 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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