勝興寺・本堂(国宝)

勝興寺・本堂(国宝)

富山県高岡市伏木古国府、越中国の国庁跡に建ち、加賀藩・前田家の尊崇を受けた名刹が、勝興寺。本堂は加賀藩10代藩主・前田治脩(まえだはるなが)の支援を受け、寛政7年(1795年)建立したもので、国宝。大広間及び式台も国宝、さらには10棟の建物が国の重要文化財に指定されています。

北陸を代表する大規模建築で、江戸時代の技術の結晶

桁行39.4m、梁間37.5m、高さ23.5m、入母屋造りの堂々たる建物で、近世の大型真宗本堂としても屈指の規模を誇っています。
本堂は真東を向いていますが、これは西方に浄土があるとする西方浄土(さいほうじょうど)の仏教思想により、本尊である阿弥陀如来が浄土より民衆を迎える来迎(らいごう)の教えを具現化するもので、浄土真宗の寺に共通するもの。
本堂中央に安置される阿弥陀仏の背中が西方浄土ということから、参拝者は浄土を向いて参拝する様に設計されています。

畿内から北陸へと浄土真宗(浄土真宗本願寺派)が勢力を拡大する中で、地域の拠点となり、前田利長も寺領を安堵し、藩政時代には藩主・前田家や京の公家とも結んで越中における浄土真宗の触頭(ふれがしら=宗派ごとに任命され、本山と連絡を取り合い、藩内の宗派の寺を統制)として繁栄しました。
現存する本堂は、本山となる京・本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建てられたもの。

本願寺の宮大工・水口棟梁が木口絵図(基本的な設計図)を描き、加賀藩御大工・山上善五郎の二度に渡る現地指導を得て、地元大工棟梁・瀧川喜右ヱ門(たきがわきえもん)の采配の下で工事が行なわれるという、本山や加賀藩がかかわった大規模な事業でした。
平成10年〜平成17年3月に本堂保存修理事業(第1期修理事業)が行なわれ、屋根の曲面の修正(社寺建築で一番の見せ場は屋根)など細かな配慮で往時の姿を取り戻しています。
この修理工事で「御大工瀧川喜右ヱ門正」の墨書が発見され、担当した大工棟梁の名が判明したのです。
襖の下地に「寛政七乙卯歳 御遷仏」の墨書も発見されて建築年も特定され、令和4年12月の国宝の指定に結びつきました。

富山県内の国宝建築物は、勝興寺の本堂、大広間及び式台のほかに、瑞龍寺の仏殿、法堂(はっとう)、山門があり、いずれも高岡市内ということに。
高岡市は国宝建築物の宝庫となっています。

勝興寺・本堂(国宝)
名称 勝興寺・本堂(国宝)/しょうこうじ・ほんどう(こくほう)
所在地 富山県高岡市伏木古国府17-1
関連HP 勝興寺公式ホームページ
電車・バスで JR伏木駅から徒歩10分
ドライブで 能越自動車道高岡北ICから約8km。または、北陸自動車道小杉ICから約14km
駐車場 伏木駅前観光駐車場(30台/無料)
問い合わせ 勝興寺 TEL:0766-44-0037/FAX:0766-54-5772
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勝興寺

勝興寺

富山県高岡市伏木古国府、本願寺8世・蓮如上人ゆかり(浄土真宗本願寺派)の名刹で、越中国の国庁跡に建つのが、勝興寺。加賀藩10代藩主・前田治脩(まえだはるなが)の支援を受け、寛政7年(1795年)建立した本堂、大広間及び式台は国宝、そのほか1

 

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