和歌山県岩出市、紀ノ川の支流、根来川(ねごろがわ)流域にある新義真言宗の本山、根来寺。隆盛を極めましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めで焼失。それでも国宝の大塔(多宝塔)のほか大師堂、大伝法堂など、国の重要文化財に指定される堂塔が多数残されています。
美しい多宝塔は国宝、大師堂、大伝法堂は重文に指定
大治元年(1126年)、高野山の座主・覚鑁(かくばん)が、高野山内に鎮守の祠と僧房を建てたのが始まり。
教義復興を目指した覚鑁はのちに高僧らと対立、高野山を追われ根来に移っています。
戦国時代までに寺領72万石の大寺院となり、鉄砲を導入した僧兵は根来衆として恐れられました。
豊臣秀吉の根来攻め(紀州攻め)の10年前、天正3年(1575年)、時点では、450以上の坊院を擁していたと推測され、多くの僧兵を抱える大寺院だったことがわかります。
根来衆と呼ばれた僧兵は、豊臣軍の侵攻時には前線に出ていたため、ほぼ無抵抗で寺は攻略されたのです。
多くの堂宇がなぜ焼失したのかについても、秀吉による焼き討ち説、兵士による命令によらない放火、あるいは失火と諸説あり定かでありません。
根来寺の境内には種子島から鉄砲を伝えた杉坊の住居跡、愛染院も建っています。
本坊の池庭と平庭、聖天堂南面の聖天池の3ヶ所の庭園は、国の名勝に指定。
とくに本坊の池庭は洗練された池泉式の蓬莱庭園で必見です。
また枝垂れ桜など、桜の名所としても有名。
根来寺近くの道の駅「ねごろ歴史の丘」には「ねごろ歴史資料館」も併設。
現在と最盛期の根來寺を対比的に見せるガイダンス施設となっていて、まさに根来寺のビジターセンター的な存在になっています。
根来寺にある重要文化財
- 大門/嘉永3年(1850年)再建
- 不動堂/嘉永3年(1850年)再建
- 大伝法堂/文政10年(1827年)再建
- 大師堂/明徳2年(1391年)頃の建立
- 光明殿/享和元年(1801年)建立
- 行者堂/江戸時代中期再建
- 聖天堂/元文元年(1736年)再建
根来寺 | |
名称 | 根来寺/ねごろじ |
所在地 | 和歌山県岩出市根来2286 |
関連HP | 根来寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR紀伊駅から和歌山バス15分、根来下車、徒歩20分 |
ドライブで | 京奈和自動車道岩出根来ICから約2km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 根来寺 TEL:0736-62-1144/ FAX:0736-62-1044 |
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