旧山口藩庁門

旧山口藩庁門

山口県庁敷地内にある幕末に築かれた門が旧山口藩庁門。毛利敬親(もうりたかちか)が、文久3年(1863年)12月に一露山(いちろざん)の麓、今の山口県庁の位置に藩庁の移転を計画し、慶応3年(1867年)に竣工。旧藩庁門は、その藩庁の正門にあたる脇門付薬医門で、松やケヤキを用いた切妻造り、平入り、本瓦葺きの豪壮なもの。

幕末に長州藩士たちがくぐった門

旧山口藩庁門
脇門が開いていて常時通行可能

萩から山口への藩庁移転の際に、藩主居館とともに建てられた山口政事堂の正門。
新しい藩庁は、藩主居館と政事堂という組み合わせでしたが、実際には西洋式城郭の山口城で、門とともに残る堀が、往時の面影を今に伝えています。

禁門の変後の、第一次長州征伐で、幕府恭順を主張する俗論派が藩政を掌握したため、毛利敬親はいったん恭順を決断し、萩蟄居とともに、萩に藩庁が戻され、山口政事堂の建物も破却。
その後、高杉晋作を中心に長州諸隊が功山寺に挙兵し、高杉晋作ら、倒幕派が藩政を掌握したため、慶応元年(1866年)には山口政事堂が再建され、第二次長州征討の際にはでは、政治(藩主居館)・軍事の拠点として機能しています。

この表門は、廃藩置県までは藩庁門、その後は県庁正門として使われ、大正5年に新たな県庁舎(旧山口県庁庁舎と旧山口県議会議事堂/現在の山口県政資料館)が完成すると、門は山口県庁の西門となっています。
旧山口藩庁門として山口県の有形文化財に指定。

県庁側の脇門は常時開かれており、自由に通り抜け可能。
正門も歴史イベントなどに合わせて特別に開門されることがあります。

維新の立役者となった高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、林宇一(伊藤博文)らの長州藩士がこの門をくぐっています。

旧山口藩庁門
旧山口藩庁門
名称 旧山口藩庁門/きゅうやまぐちはんちょうもん
所在地 山口県山口市滝町1-1
関連HP 山口市観光情報サイト
電車・バスで JR山口駅から徒歩20分。またはJRバス・防長交通バス県庁前方面行きで8分、終点下車、すぐ
ドライブで 中国自動車道山口ICから約9km
駐車場 埋蔵文化財センタ−前駐車場
問い合わせ 山口観光コンベンション協会 TEL:083-933-0088/ FAX:083-933-0089
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
山口県政資料館

山口県政資料館

山口県山口市滝町にあるミュージアムが山口県政資料館。大正2年に旧山口城(山口政事堂)の堀の内側に起工、大正5年に完成したかつての山口県庁舎と山口県会議事堂を再生したもの。西洋の近代的な建築様式と伝統的な和様式が融合した、大正建築の粋を集めた

 

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