山口県萩市、萩城下の平安古(ひやこ)地区南端にある第26代内閣総理大臣を務めた田中義一の別邸が旧田中別邸。敷地は、江戸時代の毛利筑前下屋敷にあたり、明治時代には夏みかん栽培を奨励した小幡高政が住んでいました。江戸時代末期の建築と推定される主屋、明治初期築造の土蔵・表門などが現存。
昭和初期に内閣総理大臣を務めた田中義一の別邸
明治以降は士族救済のため夏みかんの栽培を奨励した小幡高政が、ここに居住し、主要建物の骨格を完成、大正時代後半からは総理大臣を務めた田中義一の所有となり、主屋の総改築が行なわれています。
主屋は南側から、入母屋造りの平屋部、切妻造りの茶室部、入母屋造りの五松閣からなり、館内には田中義一の大将服や肖像画なども展示されています。
田中義一は、文久3年(1863年)、萩藩(長州藩)の下級武士・田中信祐の三男として生誕。
陸軍士官学校、陸軍大学校に学んだ後、日清戦争に従軍した後、ロシアに留学。
日露戦争前は陸軍屈指のロシア通となり、日露戦争では開戦論を唱え、満州軍参謀となって中枢を務めています。
大正時代、原内閣で、第2次山本内閣で陸軍大臣を務め、病気療養後に政界転身を果たして大正14年、在郷軍人会を背景に、政友会総裁に就任。
昭和2年、昭和金融恐慌で第1次若槻内閣(若槻禮次郎=憲政会)が倒れると、内閣総理大臣に就任していますが、第16回衆議院議員総選挙での選挙干渉、治安警察法の強化、さらに共産党・社会主義者に対し大弾圧を行ない(三・一五事件)、保守的軍国主義的な傾向が一気に強まっています(大正デモクラシーの終焉)。
外交戦略では、それまでの協調外交方針を転換し、昭和2年の山東出兵など、中国侵略も強硬でしたが、張作霖爆殺事件(日本の関東軍による奉天軍閥の指導者・張作霖の暗殺事件)の責任から、昭和4年に辞職(天皇には関東軍の関与を認める上奏をしながら、「関東軍は爆殺には無関係」と発表し、昭和天皇が「それでは前と話が違ふではないか」と叱責、鈴木侍従長から天皇の言葉を聞かされ辞任を決意/ちなみに国民が関東軍の仕業と公式に知ったのは戦後です)。
旧田中別邸に隣接して「かんきつ公園」があり、夏みかんなどのかんきつ類10種380本が植栽されています。
かんきつ公園の横にあるのが、平安古の鍵曲で、一帯は、萩市平安古重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
旧田中別邸は、「萩市文化財施設1日券」が利用可能。
旧田中別邸 | |
名称 | 旧田中別邸/きゅうたなかべってい |
所在地 | 山口県萩市平安古町164-3 |
関連HP | 萩市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR玉江駅から徒歩15分。またはJR玉江駅から萩循環まぁーるバス西回りで5分、平安古南団地前下車、徒歩5分 |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約44kmで中央公園駐車場 |
駐車場 | 中央公園駐車場(146台/有料) |
問い合わせ | 萩市観光課 TEL:0838-25-3139 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag