従一位太政大臣にまでのぼりつめた平清盛(たいらのきよもり)。娘・徳子を高倉天皇に嫁がせ、壇之浦で水に身を投げた安徳天皇が産まれています。山口県下関市の南端の島、彦島(ひこしま)の杉田丘陵にあるのが清盛塚。彦島には寿永3年(1184年)秋、平知盛が築いた平家最期の砦・彦島城(根緒城)があった地です。
平家追討軍を防御した平知盛の陣営があった地
瀬戸内海の入口に臨む彦島は、瀬戸内海の制海権を維持するためにも平家にとって重要な拠点でした。
寿永3年(1184年)、平知盛(たいらのとももり)は父・ 平清盛の遺骨を抱えて彦島に軍営を構え(平宗盛は屋島に陣取っています)、九州の兵を率いて門司関を固め、彦島の丘に清盛を納骨して墓碑を建立したとも伝承されていますが定かでありません。
『平家物語』には平清盛は京の愛宕山(あたごやま)で荼毘(たび)に付され、僧・円實(円実法眼)が摂津国・経ヶ島(現・神戸市)に埋葬したと記されています。
彦島には平家の塚が数ヶ所あったとされ、現存する清盛塚は、昭和4年、郷土史家の手によって「清盛塚」と刻まれたもの。
赤間神宮にある七盛塚は、彦島の清盛を含めて七盛(平家の武将で盛の付く人の数=平教盛、平知盛、平経盛、平資盛、平有盛、平盛継と平清盛)なので、江戸時代にはすでに清盛の塚と認知されていたとも推測できます。
平清盛は厳島神社創建にあたり、安芸国(広島県)の宮島と、ここ彦島が最終候補だったとされ、平家にとっては戦略的に重要なだけでなく聖なる島でもあったのです。
彦島城(根緒城)のあった場所は清盛塚の丘だともいわれていますが、まだ特定されるに至っていません。
名称 | 彦島・清盛塚/ひこしまきよもりづか |
所在地 | 山口県下関市彦島江の浦町3-1 |
関連HP | 下関市公式観光サイト |
電車・バスで | JR下関駅からサンデン交通バスで12分、杉田下車、徒歩7分 |
駐車場 | 周辺の駐車場を利用 |
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