楊貴妃の里

唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げたとされる才色兼備の楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。実は、楊貴妃は日本へと脱出、長門国に流れ着いたのだという伝承が長門市の二尊院に残されています。「楊貴妃の墓」とされる五輪塔のある二尊院に隣接して造られたのが中国風庭園の「楊貴妃の里」です。

楊貴妃の墓のある二尊院に隣接して中国風の庭園が!

園内には楊貴妃の像も

園内に建つ、純白の大理石製の楊貴妃に像は、没年齢38歳にから3.8mの高さに。
唐の都・長安(現在の西安)近郊の楊貴妃最期の地、馬嵬坡(ばかいは)に立つ像と同じものなんだとか。

本物の楊貴妃の墓(貴妃の衣装を入れた墓)も、興平県の馬嵬坡にあります。

二尊院に伝わる楊貴妃伝説は、1766(明和3)年、当時の二尊院住職・恵学(けいがく)が村人の伝説を書きとめたもの。

「空艫船(うつろぶね)にて、当村唐渡口(とうどぐち=川尻岬西岸)という地へ漂着。まもなく死去したまいぬれば、里人相寄、当寺院境内に埋葬」と記されていたのです。

楊貴妃の墓とされる五輪塔が鎌倉時代後期など、伝説ゆえに科学性はありません。
それでも唐渡口という地名から、古代からの大陸との交流は示唆される伝説です。

楊貴妃の里
名称楊貴妃の里/ようきひのさと
所在地山口県長門市油谷向津具下3539
関連HP二尊院公式ホームページ
電車・バスでJR山陰本線人丸駅から大浦行きバスで40分、二尊院口下車
ドライブで中国自動車道美祢ICから約52km
駐車場15台/無料
問い合わせ下関市観光政策課 TEL:083-231-1350

二尊院(楊貴妃の墓)

古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)に数えられる楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。楊貴妃は唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げていますが、実は日本に逃げ、長門国(ながとのくに)の向津具半島(むかつくはんとう)に漂着した

【知られざるニッポン】vol.44 ムカツク半島に楊貴妃の墓を発見!

山口県の日本海側、長門市に、ムカツク半島(向津具半島)というヘンテコな名前の半島があります。さらに、その半島には、なんと! 楊貴妃(ようきひ)の墓があるんだとか。なぜ楊貴妃の墓があるのかといえば、大陸への玄関口だったという歴史があるからだと

日本三大珍スポット

青森県にはキリストの墓も! 日本三大珍スポットとは!?

あり得ないのに、妙なところに辻褄(つじつま)が合うのが「荒唐無稽話」の特徴。日本国内にはキリストの墓、『十戎』で知られるモーゼの墓、そして世界三大美人・楊貴妃(ようきひ)の墓も! 番外編として、秦の始皇帝の命で、不老長寿の薬を求めて来日した

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ