山口県防府市車塚町にある墳丘長53mの前方後円墳が、車塚古墳。天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ/車塚妙見神社)の境内にあり、墳丘くびれ部を削平して社殿が建っています。埋葬施設は後円部・前方部に各1基の横穴式石室があり、南西方向に開口しています。
現存する山口県屈指の前方後円墳は、天御中主神社境内に!
車塚古墳は白鳥古墳(しらとりこふん・平生町/墳丘長120m)、柳井茶臼山古墳(柳井市/80m)、仁馬山古墳(じんばやまこふん・下関市/75m)に次ぐ、山口県屈指の前方後円墳ですが、県内で唯一、前方部と後円部の両方に横穴式石室を配した古墳。
近年の発掘調査で、全長が60mを超える古墳だったことも確認され、被葬者は周防国府の成立につながる有力者だったことが推測されています。
車塚の名は、かつて皇族や貴族などが乗った牛車(牛が牽引した車)、輦車(れんしゃ=人が担いだ車)のかたちに似ているから(そのため全国各地に車塚があり、区別するために周防車塚古墳とも)。
後円部石室(全長8.2m)の内部に稲荷神が祀られ、石室前には稲荷社が建っているため、見学できません。
前方部石室(全長8.2m)は見学が可能ですが、崩落の危険を伴うため、内部への立ち入りは厳禁です。
築造は6世紀後半〜末葉頃(古墳時代後期)で、九州系複室石室が分布する瀬戸内海エリアの東限ということ、ヤマト王権との関係性のある前方後円墳ということから、被葬者はヤマト王権と九州の豪族との間の中継的な役割を果たした首長だと推測できます。
推古天皇19年(611年)、朝鮮半島・百済(くだら)から周防国・多々良浜(現・山口県防府市)に上陸し、聖徳太子から多々良姓とともに領地として大内県(おおうちあがた)を賜ったという琳聖太子(りんしょうたいし=大内氏が祖とした古代朝鮮の王族)に関連する墓という説もありましたが、琳聖太子は実在性すら疑わしいため、被葬者としてはあてはまりません。
車塚古墳 | |
名称 | 車塚古墳/くるまづかこふん |
所在地 | 山口県防府市車塚町 |
関連HP | 防府観光コンベンション協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR防府駅から徒歩10分 |
ドライブで | 山陽自動車道防府東ICから約3km、防府西ICから約4km |
問い合わせ | 防府市教育委員会教育部文化財課 TEL:0835-25-2237/FAX:0835-23-4300 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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