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立石寺

立石寺

山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)は、貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が創建したと伝わる天台宗の古刹。実際の開祖は安慧(あんね)で、『奥の細道』で、芭蕉が訪れ「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだことでも知られる名刹です。

1015段の石段を上れば奥の院に到達!

円仁(慈覚大師)は、天長7年(830年)、東北巡錫の途上、垂水岩の荘厳な景観に感動し、この地を天台宗の東北の霊場の拠点とすることを決意、岩壁の奥にある洞(現在の円仁宿跡)に籠もり、山寺開基の構想を練り、貞観2年(860年)と伝えられています(千手院縁起)。

天長7年(830年)の円仁の東北巡錫は、記録に残されていませんが、逆に比叡山周辺にいたという記述もないので、この地での修行は事実なのかもしれません(円仁の東北巡錫はあくまで伝承で、記録にはありません)。

山麓にある重要文化財の根本中堂には、慈覚大師(円仁)作と伝えられる仏像が安置され、伝教大師(最澄)が比叡山延暦寺に灯した灯を立石寺に分けた不滅の法燈が灯されています。
織田信長の焼打ちで延暦寺の法燈が途絶し、再建の際には逆に立石寺から法燈を分けたという歴史があります。

奥之院までの参道は、古来から修行の道で、1015段の石段を上ることで、煩悩を振り払い、悟りが開けるという仕組み。
山門先の姥堂が浄土口と称される結界で、地獄(下界)と極楽(山上)の境になっています。

百丈岩の断崖上には、有名な五大堂が建っています。
五大明王を祀って天下泰平を祈る道場で、ここが山寺随一の展望台。
奥の院近く、塔頭(たっちゅう)である華蔵院右側の岩窟にある三重小塔は国の重要文化財。

紅葉の名所としても知られ、例年の見頃は10月下旬~11月上旬。
山麓から山上の奥の院へは徒歩1時間ほど必要で、下りの疲労を考慮してのんびりと上るように心がけましょう。
本尊の木造薬師如来坐像など

芭蕉は元禄2年(1689年)、新暦の7月13日に尾花沢から立石寺に寄り道。
夕方立ち寄ったので、立石寺のお堂は、どれも扉が閉ざされ、物音ひとつしなかったとか。
そこで詠んだのが、
「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声」
の名句。
麓の根本中堂から山上の奥の院まで1015段の石段を上れば芭蕉が「岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ」と記した心境に達することでしょう。

ちなみに、立石寺の御朱印は根本中堂、金乗院、性相院、華蔵院、中性院、奥の院、本坊で授与。
険しい修験の道である胎内くぐり、胎内堂、地獄谷・行者戻し、釈迦堂などは一般参詣者の立ち入りは厳禁です。

奥の院(右側)と大仏殿
立石寺
名称 立石寺/りっしゃくじ
所在地 山形県山形市山寺4456-1
関連HP 立石寺公式ホームページ
電車・バスで JR山寺駅から徒歩5分
ドライブで 山形自動車道山形北ICから約10.6km
駐車場 150台/有料
問い合わせ 立石寺山門寺務所 TEL:023-695-2843
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

立石寺・根本中堂

山寺と通称される宝珠山立石寺(山形県山形市)は、比叡山延暦寺の分院で、貞観2年(860年)に円仁(慈覚大師)が創建。本堂にあたる根本中堂は、延文元年(1356年)、初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)が再建したもので、国の重要文化財に指定

立石寺・仁王門

立石寺の仁王門は、奥の院までの中間点に位置し、根本中堂→宝物館→山門→せみ塚→仁王門と歩いて、登山口から徒歩25分ほど。嘉永元年(1848年)、立石寺65世・情田和尚によって建立された優美な門です。邪心を持って入山する者を拒む仁王像嘉永元年

立石寺・大仏殿

立石寺の大仏殿は、奥の院の隣に位置し、像の高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されています。毎日、卒塔婆(そとば)供養が行なわれ、彼岸の中日の施餓鬼法要(せがきほうよう)には、宗派を越えた参拝者で賑わいます。金色の阿弥陀如来像を安置標高417

立石寺・せみ塚

山形県山形市、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)の百丈岩(ひゃくじょうがん)へと続く参道の途中には、せみ塚があります。せみ塚は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』途中の芭蕉が立石寺で詠んだ「閑かさや岩にしみ入る蝉の

立石寺・芭蕉と曽良の像

山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』の途中の芭蕉と曽良が訪れたことで有名で、有名な「閑かさや岩にしみいる蝉の声」を詠んだことで知られています。境内には昭和47年に建立された芭蕉翁

立石寺・芭蕉句碑

松尾芭蕉は『奥の細道』行脚の途中、元禄2年5月27日(1689年7月13日)に尾花沢から立石寺を訪れ、有名な「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいます。根本中堂の脇には、幕末の嘉永6年(1853年)、門人により建立された句碑が立ってい

立石寺・修行の岩場

山形県山形市山寺、東北の修験道の聖地として繁栄した、台密(天台宗)の古刹、立石寺。山寺と通称され、芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の名句を残したことでも知られていますが、江戸時代までは修験の地。修行の岩場は、釈迦ヶ峰といい、危険な岩場を通

立石寺・姥堂

山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)。山門をくぐり、少し上ったところに建つのが姥堂(うばどう)で、堂内には三途川(さんずのかわ)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼・奪衣婆(だつえば)が祀られています。ここが山寺における地

立石寺・三重小塔

山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)の三重小塔は、山上の奥の院下、華蔵院(けぞういん)脇にある岩窟の鞘堂に納められています。十穀静允(じっこくじょういん)作と伝えられ、静雲が寄進したもの。建立は永正16年(1519年)と記されています。こ

立石寺・修行者の参道

山形県山形市山寺、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)山内の自然に沿ってつくられた参道は、古来からの修行者の道で、立石寺開山の租といわれる(あくまで寺伝ですが)、円仁(えんにん=慈覚大師)あるいは開祖の安慧(あんね)が通った道。一番狭いと

立石寺・奥の院

立石寺奥の院は、正式には如法堂といい、立石寺開山の租、円仁(慈覚大師)が唐(中国)で修行中に持ち歩いたといわれる、釈迦如来と多宝如来を本尊としています。石墨草筆(千年以上使っても擦り減らないという硬い石墨と草で作った筆)の写経道場で、建物は

立石寺・納経堂

宝珠山立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)の百丈岩と呼ばれる断崖絶壁の上に建つ赤い小さな納経堂は、衆徒が奥の院で行なう写経を納めるお堂。奥の院の如法堂で書写の法華経を奉納するために納経堂と通称されています。山内で最も古い建物で開山当初に創建、

立石寺・開山堂

山寺と通称する、山形県山形市の名刹。立石寺(りっしゃくじ)を開祖したと伝えられる円仁(えんにん=慈覚大師)を祀る廟所が、開山堂。現存する建物は嘉永4年(1851年)の再建で、堂内には大師の木造の座像が安置されています。比叡山延暦寺(滋賀県)

立石寺・五大堂

山形県山形市、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)山上にある五大堂は、大聖不動明王、東降三世明王、五大明王を祀って、立石寺を守護し、天下泰平を祈る道場。仁王門をくぐった先で左に分かれ、納経堂、開山堂方面へと歩を進めれば五大堂です。岩場に築

峯の浦・垂水遺跡

山形県山形市山寺、山寺として有名な立石寺(りっしゃくじ)のさらに奥、奥山寺と通称される地にある異色のスポットが、峯の浦・垂水遺跡(みねのうらたるみずいせき)。最上三十三観音の二番札所・千手院の裏手にあり、円仁(慈覚大師)が修行したと伝える円

 

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