江戸時代後期から第二次世界大戦後の農地改革まで日本一の大地主といわれた山形県酒田市の豪商、本間家。本間家に伝わる庄内藩(荘内藩)酒井家、米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品(融資を受けた見返りの品)を中心に、ゆかりの品々を本間家の別邸に展示するのが本間美術館です。
豪商・本間家の別邸と庭園が美術館に
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」との俗謡まで生まれた、酒田の本間家。
本間家3代・本間光丘(ほんまみつおか)は、明和4年(1767年)、庄内藩主・酒井忠徳(さかいただあり)に請われて、「御家中勝手向取計」として藩財政の再建に尽力。
自らも、数千領を藩に献納したほか、農事改善、酒田港改修工事、砂防植林業などの公共事業、飢饉の際の窮民救済などを行なったほか、豊かな経済力を活かして、庶民から大名に至るまで、融資を行なってもいるのです。
本間美術館の建物は、文化10年(1813年)、本間光丘の子で、本間家4代当主となる本間光道(ほんまこうどう)が別荘として建てた「清遠閣」(せいえんかく)。
庄内藩主・酒井忠器(さかいただかた)が領内巡検を行なうのに先立って建てた藩主の休憩施設で、「清遠閣」の名は、秀麗な鳥海山を望むことから来遊した酒井忠器が命名したもの。
清遠閣の2階座敷からは、鳥海山を借景とした池泉回遊式庭園「鶴舞園」(本間氏別邸庭園)の全景を俯瞰することができます。
本間光道もその経済力を背景に、享和2年(1802年)、庄内藩に対し5000両を献納しているほか、文化元年(1804年)に起きた酒田火災、鳥海山が噴火と地震後には罹災民に無利子で貸し付けを行なったほか、3万両の救済資金を郡代所に差し出しています。
「清遠閣」築造、「鶴舞園」作庭にも、北前船が入港できない冬期間の失業対策事業という側面があったのです。
先代の本間光丘が、幕府の巡見使の接待所として本邸(現・本間家旧本邸)を築き、その子・本間光道が、藩主の休養所として別邸「清遠閣」とそれに付属する庭園「鶴舞園」を築いていることに。
ちなみに、「清遠閣」が一見すると大正ロマン漂う外観に見えるのは、皇族、明治政府の高官を迎えるため、明治末期の増築で2階建てに改築されているから(創建時は平屋建て)。
戦前は、酒田の迎賓館として機能し、大正14年、裕仁親王(後の昭和天皇)も宿所としています。
本間家に伝わる貴重な美術品の数々は、隣接する近代的な「美術展覧会場」で、企画展のかたちで展示。
また、清遠閣内にはレトロな雰囲気の喫茶室があり、庭園「鶴舞園」を眺めながら「珈琲とお菓子セット」、「抹茶とお菓子セット」でくつろぐことができます。
本間美術館は、本間家旧本邸とともに日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産にもなっています。
本間美術館 | |
名称 | 本間美術館/ほんまびじゅつかん |
所在地 | 山形県酒田市御成町7-7 |
関連HP | 本間美術館公式ホームページ |
電車・バスで | JR酒田駅から徒歩5分 |
ドライブで | 日本海東北自動車道酒田中央ICから約5km。山形自動車道酒田ICから約7km |
駐車場 | 60台/無料 |
問い合わせ | 本間美術館 TEL:0234-24-4311/FAX:0234-24-4312 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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