羽黒山開山堂・蜂子神社

羽黒山開山堂・蜂子神社

蜂子皇子(はちこのおうじ)は、推古天皇の御代に出羽三山を開いたと伝える開山の祖。蜂子神社(はちこじんじゃ)の祭神として祀られ、その墓は羽黒山頂のバス停から三神合祭殿への参道途中にあり、宮内庁の管理になっています。表参道石段の終点の鳥居をくぐり、三神合祭殿へと向かう途中には蜂子神社、そして厳島神社が建っています。

飛鳥の都を脱出して出羽へと逃れた蜂子皇子の伝説は実話!?

欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇(すしゅんてんのう)の第三皇子として誕生したと伝わる蜂子皇子。
蜂子皇子の父・崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、聖徳太子の手助けで宮中を脱出。
法名を弘海として出家し、丹後国由良(現・京都府宮津市由良)から海路、北へと向かい、佐渡などを経て由良(現・山形県鶴岡市由良)にたどり着き、出羽三山を開き、庄内の地を開いたというのが伝説。

蜂子皇子が実在するとしても推古天皇の御代ともなれば6世紀のこと。
当時の東北は蝦夷(えみし=鎌倉時代以降の蝦夷地で活躍したアイヌではありません)の支配地で、大和朝廷は大化3年(647年)、渟足柵(ぬたりのき/新潟市)、大化4年(648年)に磐舟柵(新潟県村上市岩船)を設置。
奈良時代となった和銅元年9月28日(708年11月14日)に、ようやく出羽郡を越後国(当時の出羽は越後でした)に設置していますから、もし、出羽三山が開かれたとしても8世紀初頭でなければつじつまが合わないことに。

それでも蜂子皇子の墓は、東北では唯一の宮内庁管理の陵墓(蜂子皇子墓=はちこのみこのはか)となっているので、出羽三山開山の歴史ロマンを秘めて、蜂子皇子は眠っているのです。

羽黒山開山堂・蜂子神社
名称 羽黒山開山堂・蜂子神社/はぐろさんかいざんどう・はちこじんじゃ
所在地 山形県鶴岡市羽黒町手向手向7
関連HP 出羽三山神社公式ホームページ
電車・バスで JR鶴岡駅から庄内交通バス羽黒山頂行きで55分、終点下車、徒歩5分
ドライブで 山形自動車道鶴岡ICから約21.8km
駐車場 羽黒山頂駐車場(450台/無料)
問い合わせ 出羽三山神社 TEL:0235-62-2355/FAX:0235-62-2352
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
出羽三山神社八朔祭

出羽三山神社八朔祭|鶴岡市

2019年8月9日

 

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