月山神社

月山神社

月山の山頂に鎮座するのが、出羽三山神社のひとつ、月山神社。社伝によれば崇峻天皇(すしゅんてんのう)の第3皇子である蜂子皇子が推古天皇元年(593年)に羽黒山を開山し、さらに同年、月山を開山したという古社。平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載されています。月山山頂の本宮は、7月1日に開山祭、9月15日に閉山祭を斎行。

奈良時代に始まる月山信仰

月山神社

越後国(当時は越後国でした)に出羽郡ができたのは和銅元年(708年)なので、蜂子皇子の創建は後世の作と推測できます。
しかしながら宝亀4年(773年)の史料には月山神の記述があるので、奈良時代末には月山信仰が始まっていたことがわかります。
本尊は月読命(つくよみのみこと)で、元来は、朝鮮半島との交流のあった壱岐島(長崎県)に壱岐県主(いきのあがたぬし)が奉斎した月神。
その後、山背国(現・京都府)、そして月山に祀られています。
月山神社が律令時代、東北唯一の官幣大社(かんぺいたいしゃ)だったことからも、その重要性がわかります(月山という山名もこの月読命に由来)。

月山八合目の月山中之宮の御田原神社には須佐之男命の妻・奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)が祀られています。

明治維新で、それまで修験の地として神仏習合で栄えた出羽三山には、廃仏毀釈、神仏分離の嵐が吹き荒れます。
月山も室町時代以前は八幡大菩薩が本地仏(本地垂迹説で神の正体とされる仏)とされ、その後は阿弥陀如来が本地仏となっていました。
明治5年には修験宗の廃止令が出されていますが、出羽三山ではかろうじて山伏達の尽力もあって修験道が生き残っています。

なお、月山神社本宮への参拝(つまりは月山山頂への登頂)は、お祓いを受ける必要があります。
月山の8合目以上は出羽三山神社の境内地、そして月山山頂は月山神社本宮の神域となっているのです。

芭蕉の月山登拝

松尾芭蕉は『奥の細道』の途中、元禄2年6月5日(西暦1689年7月21日)羽黒権現に参拝。
6月6日(7月22日)に強力を伴い、「木立三里、草原三里、石原三里」という道を浄衣、宝冠を身に付けた道者の姿で月山(月山権現)に登拝、山頂小屋に1泊し、翌日、湯殿山神社に参拝と出羽三山を巡っています。
芭蕉が登拝した時には月山山頂に山小屋のが5軒、売店が2軒あり、芭蕉は「角兵衛小ヤ」に宿泊しています。

月山神社
名称月山神社/がっさんじんじゃ
所在地山形県鶴岡市羽黒町川代
関連HP出羽三山神社公式ホームページ
電車・バスでJR鶴岡駅から庄内交通バス月山八合目行き(7月1日から運行)で1時間30分、終点下車、徒歩3時間
ドライブで山形自動車道鶴岡ICから約38.6kmで弥陀ヶ原駐車場
駐車場弥陀ヶ原駐車場(100台/無料)
問い合わせ出羽三山神社 TEL:0235-62-2355/FAX:0235-62-2352
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
湯殿山神社本宮

湯殿山神社

出羽三山の一つ湯殿山は、標高1500mで月山に連なり、湯殿山神社はその北側の渓流の畔に鎮座する神社。六十里越街道から湯殿山有料道路に入り、終点の駐車場から徒歩かシャトルバスを利用。御神体は湯がこんこんと湧き出す茶褐色の巨大な岩で、「語るなか

羽黒山五重塔

羽黒山五重塔

羽黒山(出羽神社)の五重塔は、平安時代に平将門(たいらのまさかど)が創建と伝えられ、文中元年(1372年)、庄内領主で羽黒山別当の大宝寺政氏(だいほうじまさうじ=武藤政氏)が大修復(再建)を行なったという記録が残されています。高さ29.0m

月山神社本宮開山祭

月山神社本宮開山祭|鶴岡市

山形県の月山山頂(標高1984m)に鎮座する月山神社。平安時代編纂の『延喜式神名帳』にすでにその名が記載され、神仏習合の時代(明治維新以前)には山岳修験の地として隆盛しました。月山山頂の月読命が祀られる月山神社本宮で、毎年7月1日11:00

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