山梨県富士吉田市上吉田、国道139号金鳥居から北口本宮冨士浅間神社方面に300mほどいったところにあるのが御師住宅(おしじゅうたく)の旧外川家住宅(きゅうとがわけじゅうたく)。富士講の導者だった御師の家である旧外川家住宅は、世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっています。
現存する最古の御師住宅
御師(おし)は富士講の導者。札を配り、登拝の際には自宅を宿泊所として提供し、富士山信仰を広める役割を果たしました。
上吉田(かみよしだ)は、元亀3年(1572年)に、西側にあった古吉田(ふるよしだ)から、融雪による土石流を避けるため、集落・寺をあげて移転した御師の町。
移転に際しては、綿密な町割りと屋敷割りが行なわれています。
参道(現在の国道139号)を挟んで、各家は短冊状に地割りされ、道から東側の東町に31軒、西側の西町には39軒の合計70軒に御師、神職、商人、職人などが暮らしていました。
富士山への登拝拠点として繁栄し、最盛期には御師の家86軒が軒を並べていました。
旧外川家住宅は、富士吉田市歴史民俗博物館の付属施設として往時のままの場所に保存公開された施設。世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつにもなっています。
旧外川家住宅の主屋は、明和5年(1768年)の建造で、年代の明らかなものとしては現存する最古の御師住宅。
奥行きのある建物の奥座敷には立派な御神前があり、食行身禄(じきぎょうみろく=「富士講中興の祖」、現在の吉田口八合目にある烏帽子岩付近で断食入定、墓は東京都文京区の海蔵寺)像が安置されています。
到着した富士講の信者たちは建物前を横切る水路で身体を清めてから奥へと進み、先達(ガイド)は玄関から、一般の信者たちは庭に面する縁側から建物へと入りました。
奥座敷に御神前が置かれ神道的な要素を強く感じますが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは、神仏習合。
むしろ仏教から派生したものなので、江戸時代までは仏教的な色彩が強く打ち出されていました(明治維新後に、北口本宮冨士浅間神社と連携し、神道的要素を強めて富士講を後世に伝承)。
建物内には貴重な古文書も展示され、富士山信仰と御師との関わりを学ぶことができます。
富士吉田市内にある世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」構成資産は、旧外川家住宅(御師住宅)のほか、吉田口登山道、北口本宮冨士浅間神社、小佐野家復原住宅(富士吉田市歴史民俗博物館)、吉田胎内樹型があります。
ちなみに御師は、神前に祝詞を奏上する御祈禱師(おんきとうし)の略で、伊勢講、富士講、御嶽講など、講中による参詣が盛んになると、宿泊にも対応するようになりました。
江戸時代の伊勢参宮の伊勢御師は御師(おんし)、富士山信仰の富士講は御師(おし)、奥多摩の御岳山(みたけさん)に御師集落が残る御嶽講でも御師(おし)と呼んで、神宮とは呼び分けていました。
旧外川家住宅(御師住宅) | |
名称 | 旧外川家住宅(御師住宅)/きゅうとがわけじゅうたく(おしじゅうたく) |
所在地 | 山梨県富士吉田市上吉田3-14-18 |
関連HP | ふじよしだ観光振興サービス公式ホームページ |
電車・バスで | 富士急行線富士山駅から徒歩7分 |
ドライブで | 中央自動車道河口湖ICから約3km、東富士五湖道路山中湖ICから約7km |
駐車場 | 17台/無料 |
問い合わせ | 旧外川家住宅(御師住宅) TEL:0555-22-1101 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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