与論島(よろんじま/鹿児島県大島郡与論町)は、奄美群島にある鹿児島県最南端の島。島の南部の高台にある与論城(よろんじょう、よろんぐすく)は、天然の断崖をそのまま城壁とする琉球風の城。中世は琉球・北山王の勢力圏内にあり、「最北端の大型琉球式グスク」として国の史跡に。
琉球へ23km、薩摩本土へ563km
国の文化審議会は、2024年12月20日(金)、与論城跡を国の史跡にするよう文部科学大臣に答申。
与論城は1405年〜1416年頃、琉球・今帰仁城(なきじんぐすく/沖縄県国頭郡今帰仁村)の北山王(ほくざんおう)・珉(みん)三男・王舅(オーシャン/続柄名あるいは職位名とも)または与論世之主が与論に渡り、築城したと伝えられる城郭。
北山王国は中国・明(みん)に朝貢していた関係で、中国名を名乗ったのかもしれませんが、当時は、琉球や奄美、明、薩摩(さつま)など東シナ海域の歴史的な変化に連動して築城されたと推測できます。
与論島は沖縄本島まで23kmで、薩摩国の鹿児島よりも琉球に近いという位置関係です(薩摩本土からは南方に563km)。
近年の研究では与論島と沖永良部島は北山王の勢力圏だった時代があることも明らかとなっていますが、1416年、北山王国は三山(中山・山北・山南)を統一し、琉球王国を設立させた中山王・尚巴志(しょうはし)に滅ぼされているので、未完成に終わったといわれています。
その後、琉球王国が中央集権化を進めたため、城としての機能が失われ、17世紀以前に廃城となっています。
標高90mほどの台地上に曲輪を築いた大型琉球式グスクの跡には、地主神社(とこぬしじんじゃ)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、満州開拓団慰霊碑、山口誓子句碑などがあり、築城したという王舅の墓が残されています。
往時の石垣も500mほどが現存。
鹿児島県ながら、大型琉球式グスクが残る貴重な城郭です。
「最北端の大型琉球式グスク」の与論城(鹿児島県)が国の史跡に! | |
名称 | 与論城/よろんじょう、よろんぐすく |
所在地 | 鹿児島県大島郡与論町立長3313 |
関連HP | ヨロン島観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 与論空港、与論港から約4.5km |
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