文字通り実りの良い田んぼを意味する、地形姓(地名姓)の吉田さん。吉田さんは案外多く、全国におよそ84万人、人口の0.68%を占め、日本人の名前の11位を占めています。豊作を祈願する縁起のいい名ということもあり、全国に広まったのかもしれません。新潟県柏崎市には旧・悪田村もありますが、悪田さんは聞いたことがありません。
吉田さんのルーツの代表格は、京都の吉田神社
吉田さんという名で思い浮かべるのは誰でしょう?
大河ドラマ『花燃ゆ』で注目された吉田松陰は、皆さんご存知の山口県萩市で、長州藩の本拠地。
「和製チャーチル」といわれた吉田茂は高知県宿毛出身。
俳優の吉田栄作は神奈川県秦野市の出身。
DREAMS COME TRUE(ドリカム)のボーカル、吉田美和は北海道中川郡池田町出身。
霊長類最強の女性ともいわれるレスリングの吉田沙保里(よしださおり)は、三重県津市(旧一志郡一志町)の出。
もうおわかりでしょう、有名人の吉田さんの出身地はバラバラで、地形姓のルーツ探しは実は困難を極めます。
吉田さんは、古代にも吉田連(むらじ=ヤマト王権で使われていた姓)や吉田宿禰(すくね=天武天皇が制定した姓)がいたことが知られていますが、ほかに、藤原北家勧修寺流(ふじわらほっけかんじゅじりゅう)の公家・吉田氏や、近江国愛知(えち)郡吉田を発祥地とする佐々木氏流吉田氏、武蔵国秩父郡吉田の武蔵七党児玉氏流の吉田氏、三河国吉田を発祥地とする静和源氏足利氏の吉田氏、常陸国吉田の桓武平氏大掾(だいじょう)氏流、相模国吉田の藤原北家首藤氏流など、さすがに全国に良い田んぼがあったこともあり、多岐にわたっています。
なかでもとくに有名なのが、京都・吉田神社の社家である吉田さん。
吉田神社の吉田家は天児屋根命(あめのこやねのみこと=中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神)を祖とする陰陽師の家系の卜部家(うらべけ)から始まり、鎌倉時代に吉田神社の神職となり吉田姓に改めたと伝えられています。
卜部家は、その名の通り、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族です。
卜部平麻呂(神祇権大佑)を祖とし、公卿・吉田兼煕(よしだかねひろ)は、永和4年(1378年)、京・室町にあった邸宅を室町幕府3代将軍・足利義満に譲り、吉田神社の社務に因んで家名を「吉田」としたのです。
きっちりと碁盤の目状に区切られた京都の町中で、別世界のようにこんもり盛り上がった吉田山のその静寂さの中に、斎場所大元宮(国の重要文化財)、京都府指定有形文化財の社殿などなど、その歴史を感じ取ることができます。
旧三高(現・京都大学)の「紅萌ゆる丘の花」でも知られる吉田山の大部分は、全国吉田神道の宗家である吉田神社の境内でもあり、本宮を初めとして、神楽岡社・大元宮、吉田氏の氏神である今宮社をはじめ数々の摂社・末社が祀られています。
全国の吉田さんのルーツとして、まずは訪れたいのがこの吉田神社。
桜の季節ならとくにおすすめです。
吉田神社を紹介したので次は吉田寺というわけで、奈良県生駒郡斑鳩町小吉田(こよしだ)にある吉田寺にも寄り道してみましょう。
ところが、吉田寺は「きちでんじ」と呼ばれ、俗に「ぽっくり寺」として名高い寺。
その創始は、天智天皇の勅願と伝えられ、本堂の西側には妹の間人皇女(はしひとのひめみこ)を葬るといわれている古墳があり、重要文化財の多宝塔が美しくそびえています。
奈良県には吉田さんが多いので、飛鳥京や平城京の昔から、良田が多く、縁起のいい名前として吉田さんが生まれたのかもしれません。
東海地区の吉田さんは吉田城へ!
ここで全国に散在する吉田城跡を眺めてみましょう。
日本にかつて存在していた吉田城は、出羽国、常陸国、遠江国、三河国、尾張国、安芸国、大隅国などにありますが、そのなかでももっとも有名なのが、東海道五十三次吉田宿(三河国吉田)近くの三河国吉田城跡(愛知県豊橋市=吉田は豊橋の旧称)。
飯盛女が多いため、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」などのざれ歌にも登場する東海道の吉田で、手筒花火などでも知られています。
吉田城、東海道・吉田宿といっても、愛知県の人でもピンとこない人が大半で、今では豊橋という名のほうがはるかに有名に。
かつて今川方の城だった吉田城は、今川義元(いまがわよしもと)が桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で織田信長に敗れて戦死すると、吉田城を取った徳川家康が酒井忠次を城主に入れ、家康が秀吉によって関東に封じられると、池田輝正が、さらに竹谷松平氏、深溝松平・水野・小笠原・久世・牧野・大河内松平氏へと代わっています。
城跡一帯は豊橋公園として整備され、本丸北西の鉄櫓跡(くろがねやぐらあと)に模擬天守が再建されるほか、石垣・堀などが残されています。
吉田城のすぐ西には吉田神社が鎮座していますが、吉田城の鎮守社だった社で手筒花火でも有名。
源頼朝など武将が尊崇した吉田神社は手筒花火発祥の地。
鎌倉時代の初め頃に京・祇園社(八坂神社)の牛頭天王信仰(ごずてんのうしんこう)が伝わり、火の使用による悪霊放逐という考えが戦国時代に手筒花火を生み出したのだとか。
『豊橋祇園祭』は、7月第3週の金曜日、大筒の練り込みと吉田神社での手筒花火の奉納『神前放揚』(しんぜんほうよう)に始まります。
江戸時代、火薬の使用が家康の故国・三河国だけには許され、その伝統を今に伝えています。
吉田さんなら吉田城、吉田宿、手筒花火を見逃すわけにはいかないでしょう。
水戸にある吉田城跡は茨城の吉田さんのルーツ
茨城県水戸市にある中世の城館・吉田城跡は、常陸国吉田氏のルーツ。
『水戸市史』によると鎌倉時代の初めに桓武平氏大掾(だいじょう)氏が館を築き、吉田摂津守太郎清幹が城主となったのが始まりという。
応永23年(1416年)、水戸は江戸氏の支配下になり、吉田城は江戸氏が領有、その後、さらに佐竹氏の領有となり、水戸城の支城になっています。
しかし、水戸市には元吉田町という町名も残り、ここが吉田さんのルーツであることを示しています。
常照寺一帯が城跡で土塁や空壕が現存、茨城県に住む吉田さんなら、一度は足を伸ばしたい場所です。
吉田さんは西日本では7位で、田中さんと同様に西日本に多い名前。
弥生時代以来の新田開発で、古代から中世に良田が拓かれ、吉田という地名と名前が生まれたのだと推測できます。
北陸では、富山県が3位(0.90%)、石川県が4位(0.89%)、福井県が3位(1.16%)と米どころの越中、越前に多くなっています。
関西では大阪府が4位(0.69%)、奈良県が3位(1.01%)、四国では徳島県が3位(0.83%)で、吉田さんの多い県では、当然、田中さんも多いことに。
吉田さんの代表家紋は、神職を表すトレードマークといえる梶の葉として、卜部氏流が抱き梶の葉を使用し、佐々木氏流は四つ目結。
ほかに笹竜胆、三つ州浜、三つ鱗、花菱、梅鉢、左三つ巴、二引両、蔦など。
元首相の吉田茂家は山桜だとか。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
吉田さんのルーツを探せ! | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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