日本100名城 北陸5城

富山、石川、福井の北陸3県には5つの城が日本100名城に選定。有名な加賀百万石の藩庁・金沢城、水堀と曲輪の保存率が日本一の高岡城、日本五大山城に数えられる七尾城、天守が現存の丸岡城、戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で発掘された一乗谷朝倉氏遺跡(一乗谷城)の5城です。

富山県

富山県の日本100名城は、高岡城だけ。
しかも加賀藩主・前田利長の隠居のための城だったため、すぐに廃城となっていますが、選定の理由は、水堀と曲輪の保存率が日本一だから。
総面積21万平方メートルのうち城の名残を残す濠は、37%を占めています。
「お濠めぐり遊覧船」も運航。

高岡城

加賀藩2代藩主・前田利長の隠居城

所在地:富山県高岡市古城1-6
旧国名:越中国
築城年:富山城に隠居した加賀藩2代藩主・前田利長が慶長14年(1609年)に築城
内容:富山城に隠居した加賀藩2代藩主・前田利長ですが、慶長14年(1609年)、富山城下の大火の際に富山城も類焼し、高岡に隠居用の城を構えて引っ越し
慶長20年(1615年)の一国一城令で廃城となっているため、実際に使われたのは短い期間です
突貫工事で築城された隠居目的の城であったため、天守は築かれなかったと推測されています
備考=国の史跡、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選

高岡城(高岡古城公園)

富山城に隠居した加賀藩2代藩主・前田利長が1609(慶長14)年築城した高岡城の城址。隠居城として使われたのは短期間で1615(慶長20)年の一国一城令で廃城となっています。「日本100名城」にも富山県で唯一選ばれ、日本さくら名所100選、

高岡古城公園お濠めぐり遊覧船

高岡古城公園お濠めぐり遊覧船

富山県高岡市、築城当時の石垣が残る高岡城(高岡古城公園)の濠をめぐる遊覧船が、高岡古城公園お濠めぐり遊覧船。城の北側にある乗り場から、利長号と利常号の2隻が就航。10名乗りの小舟で、ちょっぴり探検クルーズのような雰囲気も醸し出しています。所

石川県

石川県にある日本100名城は七尾城と金沢城。
七尾城が選定される大きな理由は、中世の山城の遺構がそのままに残されているから。
山中にあり、早くに廃城となったため、戦火などを受けることなく石垣などが往時のままに現存し、日本五大山城のひとつに数えられています。

金沢城は加賀百万石の藩庁。
美しい大名庭園の兼六園や、城下町が残されています。

七尾城

日本五大山城に数えられる壮大な山城

所在地:石川県七尾市古府町
旧国名:能登国
築城年:能登国守護・畠山満慶(はたけやまみつのり=能登畠山氏の初代当主)が正長年間(1428年~1429年)に築いた砦が始まり
内容:七尾は、この山城・七尾城を守る7つの尾根(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)に由来する地名
その後、能登畠山氏の居城になりますが、上杉謙信の城攻めで開城
前田利家、前田利政が城主となるも、前田家の拠点が小丸山城に移り、天正17年(1589年)に廃城に
中世の山城ながら、各曲輪の石垣のほとんどが現存
備考=国の史跡、日本五大山城

七尾城

七尾城

石川県七尾市、城山と通称される七尾湾を一望する標高300mほどの尾根上に位置するのが中世の山城、七尾城。七尾という名は、この山城を守る7つの尾根(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)に由来する地名です。城が築かれたのは松尾なので、松尾

金沢城

前田利家が近世的な城郭に修築、加賀百万石の藩庁に

所在地:石川県金沢市丸の内1-1
旧国名:加賀国
築城年:天正8年(1580年)、織田信長の配下、佐久間盛政(さくまもりまさ)が加賀一向一揆の拠点だった尾山御坊(おやまごぼう)を制圧し、金沢城に改変して築城(当初は、織田家の対上杉の前線基地として機能)
内容:天正11年(1583年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)から加増を受けた前田利家が入城し、天正15年(1587年)、キリシタン大名・高山右近を招いて城の大改築を実施
藩政時代には、加賀百万石の藩庁に
平成13年に、古絵図や古文書などを元に、安政頃の景観を再現して、菱櫓、五十間長屋、橋爪門櫓を復元
備考=国の史跡

金沢城

金沢城

加賀百万石のシンボル、金沢城は、加賀藩主・前田家の居城。天正11年(1583年)、前田利家により本格的な築城が開始されました。天明8年(1788年)築の石川門、安政5年(1858年)に再建された三十間長屋は、そして鶴丸倉庫は国の重要文化財。

福井県

福井県の日本100名城は江戸時代の天守が現存する丸岡城と、中世に朝倉氏が築いた城と城下町の一乗谷城の2城。
一乗谷城は、国の特別史跡、そして4つの庭園跡(一乗谷朝倉氏庭園=湯殿跡庭園・南陽寺跡庭園・諏訪館跡庭園・朝倉館跡庭園)は国の名勝になっています。

丸岡城

江戸時代の天守が現存し、国の重文に

所在地:福井県坂井市丸岡町霞町1
旧国名:越前国
築城年:天正4年(1576年)、一向一揆の備えとして織田信長の命で、柴田勝家の甥・柴田勝豊(しばたかつとよ)が北ノ庄城(福井城)の支城として築城
内容:柴田勝家が北ノ庄城で秀吉に滅ぼされると、丸岡城は丹羽長秀配下の青山宗勝が城主となり、その子・青山忠元と目まぐるしく城主が替わっています
天守は長年創建時のままの状態で現存するといわれてきましたが、平成31年3月に坂井市教委が酸素同位体年代調査などの結果をもとに、建造時期は寛永年間(1624年~1644年)と結論づけられいます
屋根瓦は地元の笏谷石を使用
天守周辺は角川映画『戦国自衛隊』(千葉真一主演/昭和54年)のロケ地
備考=国の史跡、☆現存12天守(国の重要文化財)、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選

丸岡城(霞ヶ城公園)

柴田勝家の甥・柴田勝豊(しばたかつとよ)が天正4年(1576年)、北ノ庄城(福井城)の支城として築城した城で、藩政時代には丸岡藩の政庁となりました。天守は江戸時代初期のままの状態で現存し、現存する日本最古級の天守となっています。「日本100

丸岡城

国宝を目ざす丸岡城、天守は江戸時代築だった!

これまで、戦国時代の天守として国宝を目指してきたのが福井県坂井市にある丸岡城。国宝指定には築城年を示す正確な史料が必要です。その史料に欠ける丸岡城では、天守の通し柱などの科学的な調査を実施しました。その結果、なんと、戦国時代末期ではなく、江

一乗谷城

遺跡全体(278ha)が国の特別史跡

所在地:福井県福井市城戸ノ内町
旧国名:越前国
築城年:文明3年(1471年)、朝倉氏が築城
内容:戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した山城と、城下町の跡(一乗谷朝倉氏遺跡)
天正元年(1573年)、一乗谷城の戦いに大敗した義景は一乗谷を放棄し大野へ逃れ、朝倉氏の城下町は、8月17日、織田信長の軍勢に火を放たれ灰燼に帰しています
朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で発掘され、一部の家並みは往時のままに復元
備考=国の特別史跡、特別名勝

一乗谷朝倉氏遺跡

1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で発掘され、一部の家並

日本100名城 北陸5城
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石川県三大名城

石川県三大名城とは!?

石川県下で日本100名城に選定されるのは、加賀百万石の藩庁だった金沢城、そして能登半島・七尾市の七尾城(日本五大山城のひとつ)。続日本100名城に数えられるのは、加賀一向一揆勢と織田軍との攻防の地にもなった白山市の鳥越城ので、この3城が石川

富山県三大名城

富山県三大名城とは!?

富山県下に数ある城郭の中で、唯一、日本100名城に選定されているのが前田利長が築いた高岡城。続日本100名城に選定されるのが富山藩の藩庁、富山城と、越中三大山城の筆頭といえる砺波市の増山城で、以上の3城が富山県三大名城といえる城です。高岡城

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福井県下にある日本100名城選定の城は、江戸時代に築かれた天守が残る丸岡城、国の特別史跡の一乗谷城の2城。続日本100名城選定の福井藩の藩庁・福井城と、雲海に浮かぶ「天空の城」として有名な越前大野城、美浜町の国吉城を加えた5ヶ所が福井県五大

 

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