日本三霊山とは!?

日本三霊山

山そのものが神という信仰は古代から日本にありましたが、日本古来の古神道が修験道や仏教と融合し、中世には山岳信仰として隆盛。雪を被った高嶺は霊山として崇められましたが、日本を代表する3つの霊山が、「日本三霊山」。富士山、白山、立山の三山が「日本三霊山」で、「日本三名山」も同じく富士山、白山、立山の3座です。

富士山|富士山信仰

「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録

古代、現在の山宮浅間神社(静岡県富士宮市)に噴火を鎮める浅間大神を祀ったのが始まりという富士山信仰。
山宮浅間神社では、今も本殿はなく祭祀遺跡としての形式を色濃くを残しています(平成22年9月19日に「山宮浅間神社鎮座1900年祭」が斎行されています)。
その後、修験道と古代信仰が交わり、富士修験が生まれます。

『浅間大菩薩縁起』によれば、走湯山(伊豆山神社の前身)で修行し、各地の霊山を巡歴した僧・末代(まつだい=富士修験道の開祖)が長承元年(1132年)に富士山に登頂。
このときに、富士山頂で過去に登頂を成し遂げた金時上人、覧薩上人、日代上人らの遺品を発見したと伝えられています。

その後、富士山頂に大日寺を建立し、宗教登山が幕を開け、江戸時代の富士講の全盛に繋がります。
江戸はもちろん、尾張(名古屋周辺)などからも富士山を目指し、信者の地元にミニ富士ともいえる富士塚が築かれました。

絵を使って信仰を説明する「絵解き」には『富士山曼荼羅』が使われていますが、これは密教的な思想性は薄れていますが、輪廻転生を繰り返す宇宙の仕組みそのものを富士山に当てはめたビジュアルな解説と考えることができます。

明治の神仏分離で、仏教的な要素が廃され、富士山信仰は、富士宮の富士山本宮浅間大社を本宮とする、全国1300社の浅間神社に継承されています。

霊峰・富士
富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社

全国に散らばる1300余りの浅間神社の総本宮で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の中核的な存在。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと=浅間大神)。富士山自体がご神体で、山頂に奥宮が須走口・吉田口・河口

富士山頂上浅間大社奥宮

富士山頂上浅間大社奥宮

富士宮口山頂に鎮座するのが富士山頂上浅間大社奥宮。富士宮にある富士山本宮浅間大社の奥宮です。富士講全盛の神仏習合の時代から富士山の八合目より上部は神域でしたが、明治初年の廃仏毀釈後は仏教的な色彩が一掃され(山の名からも失われ)、代わって奥宮

富士山 剣ヶ峰

富士山 剣ヶ峰

日本の最高峰、富士山の最高地点が標高3776mの剣ヶ峰。かつてはレーダードームがあり、新幹線の車窓などからも視認できましたが、現在は富士山特別地域気象観測所が設置されています。

山宮浅間神社

富士宮市にある古社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮の地から遷座したとあり、ここが富士山信仰のルーツと考えられています(浅間大社も含め、全国に1300社ある浅

白山|白山信仰

白山修験の歴史は、全国の白山神社が今に伝える

修験道の僧・泰澄(たいちょう)は、養老元年(717年)、越前国(後の加賀国)の白山に登拝し、妙理大菩薩(白山妙理権現=白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神)を感得。
白山を開山しています。

平安時代にはすでに、禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれる禅頂(山頂)に到達する登拝の道が整備されています。
加賀馬場(現・白山比咩神社)、越前馬場(現・平泉寺白山神社)、美濃馬場(現・長滝白山神社)を起点として、山頂を目指したのです。

天長9年(820年)、それぞれの馬場に、白山寺、平泉寺、長滝寺の神宮寺が建立。
こうして白山修験は、単なる修験道を超え、中世には加賀国を中心に政治的な力も発揮しています。

南北朝の騒乱で、吉野山や熊野三山詣でが衰退すると、代わって、白山信仰が全国に伝わったのです。
戦国時代には白山修験は比叡山延暦寺と結びつき平泉寺は8000人もの僧兵を有していました。

明治維新の廃仏毀釈、神仏分離で、山上・山麓の多くの仏堂、仏像が破却され、修験僧は神官となり、白山神社となって白山信仰を継承しています。
廃寺を免れた白山中宮長滝寺も長滝白山神社と長瀧寺(天台宗)に分けられて存続。
現在は、白山比咩神社(石川県白山市)が総本社です。

霊峰・白山
白山比咩神社

白山比咩神社

石川県白山市にある加賀国一之宮が白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。はるか神代の時代から霊峰白山をご神体とし、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ=菊理媛神・くくりひめのかみ)、伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)の3柱

白山

白山

白山は、富士山、立山とともに日本三霊山(日本三名山)のひとつ。石川・岐阜県境にそびえ、御前峰(2702.1m)、大汝峰(2684m)、剣ヶ峰(2677m)3つの峰からなる火山です。白山を中心とする面積4万7700haは石川、岐阜、富山、福井

白山文化博物館

白山文化博物館

道の駅白山文化の里長滝に隣接する白山信仰を解説するミュージアムが白山文化博物館。白山文化博物館近くに鎮座する白山文化博物館は、養老年間に泰澄大師が創建した白山中宮長滝寺で、美濃・飛騨、そして東海における白山信仰の中心地。そして美濃側から白山

長滝白山神社

長滝白山神社

東海の人々は古来から遠くに浮かぶ雪の積もった白い山、白山を水神様(農業の神様)として信仰してきました。なかでも岐阜県郡上市白鳥町にある白山中宮長滝寺(長滝白山神社・長滝寺)は養老年間に泰澄(たいちょう)が創建して以来、白山信仰の中心地、東海

立山|立山信仰

立山の山上には開山伝説に基づいて、浄土と地獄がある

『立山開山縁起』によれば、大宝元年(701年)、奈良時代の越中国司・佐伯(宿禰)有若の子、佐伯有頼(さえきのありより)が開山したのが立山。
立山信仰は立山で鷹狩りをしている際に、阿弥陀如来の垂迹(すいじゃく=化身)である立山権現に出会ったことに始まります。

立山信仰では『立山曼荼羅』が有名で、立山山麓の岩峅寺(いわくらじ)、芦峅寺(あしくらじ)が立山信仰の中心として栄えました。
立山山上は、開山伝説に基づいて、浄土と地獄にそれぞれ分けられ、立山を巡拝することで死後の世界を擬似体験し、死の世界を体感しながら、現世へ戻るという異色体験ができるというテーマパーク的な意味合いを有していました。
なかでも立山主峰の雄山は極楽浄土の象徴だとされました。
こうした立山権現への信仰は、江戸時代には芦峅寺衆徒によって全国に広められました。

明治維新の神仏分離、廃仏毀釈では芦峅寺・岩峅寺が廃寺に追い込まれ、雄山神社に強制的に改組され、立山権現信仰の布教すら禁止されてしまいました。

現在は立山権現の歴史を雄山神社が継承し、立山頂上峰本社、芦峅中宮祈願殿、岩峅前立社壇の3社で構成されています。

霊峰・立山
立山(大汝山)

立山(大汝山)

富山県中新川郡立山町芦峅寺、「神が立つ山」として、富士山、白山と並び日本三霊山に数えられる霊峰、立山(たてやま)。その主峰は、主峰は、雄山神社の鎮座する雄山ですが、最高峰は、大汝山(おおなんじやま)で標高3015mです。山頂横に大汝休憩所が

ミクリガ池

ミクリガ池

立山黒部アルペンルートの最高所、室堂平にあるミクリガ池は、立山の火山活動(1万年前の水蒸気爆発)で生まれた爆裂火口の跡。すぐ横のミドリガ池同様に、火口に水がたまった周囲630mほどの池で、水深15mは日本アルプスでもっとも深い池となっていま

立山(雄山)

「神の立つ山」立山は白山、富士山と並ぶ日本三大霊山に数えられ、立山修験(たてやましゅげん)と呼ばれる山岳信仰の場。立山信仰では浄土山は「過去」、雄山(立山)は「現在」、別山は「未来」でこの3つが立山三山。立山連峰で最高峰は、雄山の北にそびえ

地獄谷(立山地獄)

立山の室堂平近くにある地獄谷は立山信仰の中心的存在で、恐山(青森県むつ市)、川原毛地獄(秋田県湯沢市)と並ぶ「日本三大地獄」のひとつ。立山黒部ジオパークの室堂平ジオサイトの一部となっています。現在火山活動により、危険な火山性のガスが噴出して

日本三霊山とは!?
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日本三大急登とは!?

日本三大急登とは!?

登山者などに日本三大急登と称されるのは、谷川岳・西黒尾根、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根(南アルプス)、烏帽子岳・ブナ立尾根(北アルプス)の3ルートで、ひたすら登る過酷な登山道。ダントツのロングコースは、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ですが、勾配ではブナ立尾根

日本三大雪渓

日本三大雪渓とは!?

北アルプスの白馬大雪渓、針ノ木大雪渓、そして剱沢雪渓が日本三大雪渓と通称されています。白馬大雪渓に関しては文句ない規模ですが、実は剱岳には近年氷河だと認定された、日本最大の氷河、三ノ窓雪渓、さらに東北の飯豊山にも石転び沢雪渓があり、三大雪渓

日本三大峠とは!?

日本三大峠とは!?

峠とは、山と山の間、つまり、山の鞍部(あんぶ)のことで、隣村や隣国へは標高の低い峠道が自然発生的に生まれました。標高が高く、歴史的にも重要な3つの峠が日本三大峠で、奥秩父の雁坂峠(かりさかとうげ)、南アルプスの三伏峠(さんぷくとうげ)、北ア

日本三霊山を知り、「修験道」を学ぶ

飛鳥時代、役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた「実修実験の道」が修験道(しゅげんどう)です。修験者たちは、険しく霊気あふれる山に入り、修行することで自らの魂と神(至高なる魂)との繋がりを探ったのです。そんな修験道の歴史が今も脈々と息づくのが富

 

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