沖縄本島・読谷村(よみたんそん)の景勝地、残波岬(ざんぱみさき)。海岸台地を利用した残波岬公園の西ノ神之屋近くにあるのが、泰期像(たいきぞう)。泰期は、1372年、当時交易の拠点だった読谷の長浜港から明(みん)へ出航するなど、三山時代に5回も中国に渡航した英雄です。
中山王の命で進貢使として明に渡航した泰期の像
1372年の泰期の中国・明への渡航は、明の初代皇帝・朱元璋(しゅげんしょう/元末の乱による元の衰退で揚子江下流部の経済力を背景に明の太祖に)が使者・楊載(ようさい)を琉球・中山王 ( ちゅうざんおう )に派遣し自らの即位と年号の創始を告げ、招諭(しようゆ=皇帝による朝貢勧告)したことに応じたもの(明は、周辺諸国に対して服属する様に招諭していました)。
明は、周辺の小国を「海外の蛮夷(ばんい=野蛮人)」と考えていましたが、脅威とならない小国に対しては、討伐しない代わりに君臣関係を要求し、懐柔(かいじゅう)政策をとっていました。
明が設立した当時の琉球は統ー国家ではなく、首里・浦添を中心とする中山(ちゅうざん)、糸満を中心とする南山(なんざん)、今帰仁(なきじん)を中心とする北山(ほくざん)の三山の按司(あじ)が覇権を競う三山時代で、明の初期には、三山の按司がともに明に使者を遣わしています(琉球は、1429年に尚巴志王によって統一)。
以降、国王が死去する度に、王位継承者は中国の朝廷に使者を派遣し、先王の訃を報じ、自らの冊封(さくほう=中国皇帝が臣下の国の国王を任命するという名目的な君臣関係)を請うたのです。
当時、大陸に渡ることは、まさに命がけでしたが、泰期は5往復もしています。
この朝貢貿易のおかげで琉球は発展したともいえ、残波岬公園の泰期像は、読谷村の開村100周年、読谷商工会35周年を記念して平成20年に建立されたもの。
ちなみにこの像が指差す彼方は中国大陸です。
残波岬公園・泰期像 | |
名称 | 残波岬公園・泰期像/ざんぱみさきこうえん・たいきぞう |
所在地 | 沖縄県中頭郡読谷村宇座 |
関連HP | 読谷村観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 那覇バスターミナルから琉球バス・沖縄バス残波岬行きで1時間30分、残波岬下車、徒歩5分 |
ドライブで | 沖縄自動車道石川ICから約14.5km |
駐車場 | 残波岬公園駐車場(270台/無料) |
問い合わせ | 読谷村商工会 TEL:098-958-4011 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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