頭塔

頭塔

奈良県奈良市高畑町、土壇からなるピラミッド型の不思議な塔が、頭塔(ずとう)。奈良時代に聖武天皇が信頼した法相宗の僧・玄昉(げんぼう=入唐僧のひとり)の頭を埋めた墓との伝承があるため、頭塔と称されていますが、本来は、仏塔の一種である土塔(どとう)で、頭を埋めたというのは伝承にすぎません。

不思議なピラミッドの塔は、仏舎利を納める仏塔

頭塔

土塔は、大阪府堺市中区にある大野寺土塔(おおのでらどとう/国の史跡)が有名で、奈良時代の神亀4年(727年)、行基が大野寺、大野尼院を創建した際に築いたものとされています。

奈良市の頭塔も土塔で、『東大寺要録』には神護景雲元年(767年)、東大寺二月堂修二会を創始した僧・実忠(じっちゅう)が東大寺別当の良弁の命により築いたものと記されています。
鎮護国家を目的に、孝謙太上天皇(称徳天皇)の発願のひとつと推測され、孝謙太上天皇・道鏡と対立した藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が起こした恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん)の戦死者を弔うなどの目的がありました。

1辺32mの方形の基壇に、合計で高さ10m、7段の土壇(高さは奇数壇で1.1m、偶数壇で0.6m)が版築工法によってピラミッド状に築かれたもの。
表面を自然石で覆い、東西南北の四面に浮彫や線彫で如来三尊像などの仏像を配しています。
これは、奈良時代の四方四仏の浄土構成図に基づいたもので、北が弥勒浄土 東・薬師浄土 南・釈迦浄土 西・阿弥陀浄土ということに。

元来は1・3・5・7と奇数の段に11基ずつ、合計44基の石仏が配されていましたが発掘されているのは28基のみで、1体は郡山城石垣に転用石として使われていることが判明。

藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が悪霊となって政敵・玄昉に祟り、玄昉の体を空中に舞い上げバラバラにして落下させ、頭部は奈良に落ちたという話が流布し(『今昔物語』にも記載があります)、いつしか玄昉の頭を埋めた墓だということに。

本来は土塔でしたが、興福寺(興福寺菩提院は、玄昉の菩提を弔う寺)の拡張で土塔が寺域に取り込まれたことから、頭が埋められたという伝承がまことしやかに伝わり、土塔がいつしか頭塔に変わったのだと推測できます。
発掘調査の始まる昭和61年までは土に覆われ、木が茂る状態でしたが、調査結果を踏まえて往時の姿に復元しています。

国の史跡となっているほか、石仏22基が「頭塔石仏」として国の重要文化財に指定。
見学には頭塔保存顕彰会への協力金が必要。
保存修理などで見学ができないこともあるので、事前に確認してからの訪問を。

頭塔
頭塔
名称 頭塔/ずとう
所在地 奈良県奈良市高畑町921
関連HP 奈良県公式ホームページ
電車・バスで JR奈良駅から奈良バスで10分、破石町下車、徒歩3分
問い合わせ 奈良県文化財保存課 TEL:0742-27-9866
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
土塔

土塔

大阪府堺市中区土塔町、奈良時代に行基創建の大野寺に築かれたピラミッド型の仏塔が、土塔。1辺53.1mという巨大な瓦積み基壇の上に、13層の壇を積み上げた特異な形状で、神亀4年(727年)、僧・行基(ぎょうき)が築いたとされ、奈良の頭塔ととも

 

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