宇和島城

宇和島城

宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦がありましたが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほぼ現在の姿が整えられています。天守は現存12天守のひとつで、宇和島城も日本100名城に選定されています。

宇和島藩・伊達家の居城として明治維新を迎えた天守が現存!

  • 宇和島城
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城は西と北は海に、南から東の3方は海水を取り入れた潮入の濠で囲まれた変則5角形で、築城の名手として名高い藤堂高虎の縄張りらしい外敵が侵入しにくい構造(現在は濠や海が埋め立てられて面影はありません)。

藤堂高虎が今治に転封後(今治城を築城)、初代仙台藩主・伊達政宗の長男・伊達秀宗(だてひでむね)が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615年)に宇和島城に入城(仙台藩は異母弟の伊達忠宗が継いでいます)。
文禄4年(1595年)7月に秀次事件が起こり、秀次と親しかった伊達政宗も連座して、秀吉から伊予転封を命じられます。
徳川家康の仲介で、伊予転封は免除され、長男・伊達秀宗は、豊臣秀頼のお側小姓として仕えます。
その後、弟が2代将軍・徳川秀忠から一字を賜って忠宗と名乗り、家督を継いだことで政宗は別家を興すことを考え、大坂冬の陣参陣の功で賜った宇和島10万石を秀宗に与えたのです。

以降、幕末・明治維新の9代・伊達宗徳(だてむねえ)まで、伊達家が宇和島藩主を務めています。

石垣を眺めながら徒歩15分で本丸に到達

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山頂にある本丸には、宇和島藩2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が寛文11年(1671年)に改築竣工した、3重3層の独立式天守があり、その下に二の丸、三の丸が配されています。

明治維新で天守、大手門を除く櫓や城門が破却され、大手門も第二次世界大戦の宇和島空襲で焼失しています。

国の重要文化財に指定される天守のほかに南側登城口城門の上り立ち門(宇和島市の文化財)、北登山口にある桑折氏武家長屋門(こおりしぶけながやもん=宇和島市の文化財)、往時の石垣などが残り、城全体が国の史跡となっています。

城山郷土館は、幕末の弘化2年(1845年)に三の丸に建てられた武器庫を移築したもの。

宇和島城
名称宇和島城/うわじまじょう
所在地愛媛県宇和島市丸之内1
関連HP宇和島市公式ホームページ
電車・バスでJR宇和島駅から山門まで徒歩10分、山門から天守まで徒歩15分
ドライブで松山自動車道西予宇和ICから約20km
駐車場城山下駐車場(45台/有料)・宇和島市営中央町駐車場(100台/有料)
問い合わせ宇和島市文化・スポーツ課 TEL:0895-49-7033
天守 TEL:0895-22-2832
城山郷土館 TEL:0895-22-3904
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
宇和島城

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宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦がありましたが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほぼ現在の姿が整え

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