窯垣の小径

窯垣の小径

愛知県瀬戸市は、「陶所(すえと)」が転じて瀬戸となった(『尾張地名考』)といわれる、1000年余りの歴史を誇る焼き物の町。「窯垣の小径」(かまがきのこみち)は、その昔、洞(ほら)などの窯場へ通う職人が往来し、窯から出された製品が運ばれていた道。現在は、窯道具を使った壁や塀の小径となっています。

瀬戸市が設定する「陶の路」のひとつ

登窯での焼成時にほかの釉薬(ゆうやく)がつかないように製品を囲ったエンゴロ(過酷な窯の炉内で製品を保護するため耐火性の強い土で焼かれた容器)、ツク(陶製の丸棒)、エブタ(陶製の板)などが、壁や道に規則正しく並べられ、独特の模様がユニークな景観を生み出しています。
つまり、「窯垣」は、窯道具を積み上げて作った塀や壁の呼び名で、たくさんのエンゴロを使っているのでエンゴロの道とも呼ばれています。

当時はこの狭い小道が洞の本道(洞街道)で、陶磁器を運ぶ天秤棒を担いだ担ぎ手や荷車が往来していました。

かつての窯元の家を利用した「窯垣の小径ギャラリー」と「窯垣の小径資料館」があるのでぜひお立ち寄りを。
窯垣の小径は、「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地-」の構成資産にもなっています。

10月第2日曜には、「窯垣の小径資料館」など3会場で、地元の窯元・作家のオリジナル作品の展示即売が行なわれる『洞町窯垣の小径まつり』も開催。

ちなみに瀬戸市内には仲洞町の窯垣の小径ほか、北新谷地区(窯神町)、南新谷地区(秋葉町)、郷地区(西郷町)に釜窯垣が現存しています。
江戸時代後期から行なわれた廃材の利用ですが、陶壁などを多数手がけた陶芸家の加藤元男(美夜之窯)が「窯垣とでも称するもの」(昭和51年刊行『瀬戸もん百聞』)と記してから付いた名称です。

窯垣の小径
名称 窯垣の小径/かまがきのこみち
所在地 愛知県瀬戸市仲洞町
関連HP 瀬戸市観光情報公式サイト
電車・バスで 名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から徒歩20分
ドライブで 東海環状自動車道せと赤津ICから約4km
駐車場 窯垣の小径駐車場(30台/無料、9:00〜17:00)
問い合わせ 瀬戸観光案内所 TEL:0561-84-1997/瀬戸市まるっとミュージアム・観光協会 TEL:0561-85-2730
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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